f:id:lumi31:20210404005136j:plain

 

散っても、なお

花の終わり
止めることなどできないけれど、
そっと、一瞬を掬う

 

内省的でしかいられない
自分自身から遠ざかろうとしても、
心が重しになって、どこへも行けない

けれど、もう今は、これで仕方がないんじゃないか
あらゆる面で、とにかく非常事態で、
どこにいても何をしていても、息の詰まるような苦しさが追ってくる

それでも漠然と、変化を諦めたくないなと思うのだけれど、
そもそもわたしの、諦める、は
どういうことを指すのかな


上手くなくとも
もっと、没入して文章を書きたい、と思う
言葉はわたしにとって、自由であるための希望なのだと
ストックホルムで過ごしたいつかの秋に、気がついた

そのときは、スウェーデン語を学ぶ意味について考えていたのだけど
どの言語でも、等しくそうだ
たとえ、わたしはわたしでしかいられないとしても

 

f:id:lumi31:20210404005205j:plain

 

ただでさえ、仕事が山積みのいま
4月1日から、消費税額を合わせた総額の表示が義務づけられることになった
数えることすら諦めるほどの数の商品がある、わたしの店でも
値札はもちろん、ぜんぶ付け替え
もう、夢に見るくらいの仕事量だ

そんなわけで、すっかりやつれているのだけど
きょうは、夕方にいらっしゃったお客さんに、
リラックスできるからと、ハーブティーをいただいた

やはり小売のお仕事をされているそうで、
大変ですよね、わかります、と声をかけてくださった
なんだか、こんな風にやさしくしてくれる人がいるのだなあ、と
それだけで涙がでそうだった


ほとんどひとりで仕事をしているのだから
止まれば、なくなってしまうだけだ
だから、いつかもういいやと思う日まで、
とにかく歩きつづけるしかない

と、絶望めいたことを言いつつ
わたしは商品全部が大好き、よって仕事も大好きだからおもしろいな
なにがあっても意外に気力が尽きないのは、
単純に、ものと仕事への愛情があるからだという気がする

美しいと思うものでいっぱいの場所のため
いつか、こんな時期もあったなと、振り返ることができると信じて
ただ、進むだけ

 

f:id:lumi31:20210330001453j:plain

 

三月最終週
まだ、激流のさなか


身体のなかにある言葉が、ぜんぶ
外へ流れ出てしまったような、最近
夢でまで追い込まれるほどの忙しさもあるけれど、
そもそもわたしは、春はこうなりがちだ

花が咲き、葉が広がりだして
喜びながら、落ち着かない自分に気がつく
わたしより植物のほうが、よほど生き生きと元気で
なんだか気が引けてしまうのだった

そうはいってもね
とにかく、がんばっていくしかないんですけれども

 

きょうは、午前と夕方に仕事を固め、
お昼すぎに、妹と母と、哲学の道へ歩きにでかけた

桜は、ちょうど満開の花をつけて
枝を軽やかに伸ばしていた
哲学の道の桜は、楚々としていて、涼しげなのに
不思議とアンティークのような風合いもある

こんなときだし、ぶらりと一往復しただけだったけれど、
今年も見られて、よかったな


このあたりを歩くと、
小さな子どもだった頃のことを思い出す

ときどき連れていってもらったレストラン
ねだって風ぐるまを買ってもらった店
バレエ教室の帰りの楽しみだった、
アイスキャンデーや、大文字焼や、魚肉ソーセージのこと

なくなってしまったものも多いけれど、
変わらず、ありつづけてくれるものもある
桜と、疎水とともに、
来年もここにあってくれることを、ただ、願う

 

桜は、あまりにも美しすぎる
どうしようもない、たまらない気持ちになるのに、
どうして、見なければ、と出かけてしまうんだろう

今年も咲いた花を、巡り巡る季節を、その儚さとたしかさを、
三月らしからぬ日差しのなかで、思った

f:id:lumi31:20210324042754j:plain

 

さわやかに晴れわたる、遠い空
来週には満開になりそうな桜を横目に、
本を携え、カフェへ歩いていく

日曜から、朝も夜もなく仕事をしていて
きょうも午前から忙しかった
なんとか死守した、午後の一時間を
静かな時間にしたいという、執念


軽やかなティラミスを食べ、
あとは、読書
須賀敦子の文章に出てくる、ジョッティという詩人を思い
この世を、わたしを覆うかなしみについて、考える

わたしのまっすぐ前の席では、
つんつんとした髪の男性が、じっと文庫本を読んでいた
なにを熱心に読んでいるのか、すこし気になったけれど、
ひとの領域をうっかり覗き見てはいけないと、目を逸らした

こんなに天気のよい日に
なによりも、ほの暗い場所で本を読むことを選ぶ
そういう人間は、わたしだけじゃないんだという
あたりまえのことに、なんだか救われた気がした


こういう苦しみが、ずっとつづいていくのなら
どうして、正気でいられるだろう
発することのない言葉が溜まって、鉛のように胸に沈んでいく
抱えて歩くにはあまりにも重すぎる

それでも、また明日もきっと朝は来て
なにもかもに愛をもって向き合いたいと、気を取り直す
だけど、気を取り直せないときが来たらどうするんだろう

本は、ひとときの静けさは、
いつまで、わたしのことを助けてくれるだろう

 

書けないことばかりだと思うのは、
わたしが何かを書くことで、傷をつけたくないものが沢山あるから
それ自体は、いいことなんじゃないかと思う
わたしは、それだけ真剣に、
自分の店や仕事を大切に思っているということだ

だから、すこしだけ
この場所が、自分から完全に離れてしまわないように

f:id:lumi31:20210318021604j:plain

 

鋭く、赤っぽい色だった芽から
あざやかな緑の葉が出てきた、紫陽花

日々、急ピッチで葉を増やしていく様子が、ほほえましい
でないと、初夏に間に合わないものねえ

季節は、容赦なくすべてを押し流していくけれど
だから、芽も葉も花も、美しい

 

ずっと心を傾けていた仕事が、一区切りしたので
きょうは、夕方に髪を切りに行った
もともと短いから整えたくらいで、そう変わるわけでもないんだけれど、
気の持ちようなのか、なんとなくさっぱりした


今月の前半は、思えば、
今の自分にひたすらに向き合うようなときだった
好きだし憧れもするけれどわたしには合わない、ということや
逆に、自分にとっては当たり前すぎて嫌だったけれど大事にしたほうがいい、ということを
ひとつひとつあぶり出して、試して、確かめていけた気がしている

背伸びをしない、ということについてずいぶん考えたので
力不足を感じて、苦しい思いをした一方で、
目標とするところが明確にあるということにも、気がついた
地に足をつけて、そして誠実であるというのは本当にむずかしいよ

日記に書くとなると、抽象的な話に終始するほかないんだけれど
こういう時間を今過ごすことができて、よかったな

 

 

ノイズキャンセリングのイヤホンがつくる静寂に、
すうっとこの曲が乗る瞬間が、今、いちばん大切
頭のなかが、どれだけ荒れた状態でも、
きちんと凪がやってくる

こういうとき、わたしを救ってくれるのは
やっぱり、音楽なのかもしれない

f:id:lumi31:20210313013142j:plain

 

三椏が咲き、山茱萸が咲き、
そして連翹も咲きはじめた
春のはじまり、黄色い花の季節

この写真は昨日のもので、
きょうは一日、雨だった
今年は天気がよいとはいえ、この時季の晴天は儚いな


店は、今週も
緊急事態宣言の煽りか、わりに余裕がある
しかし、わたしの手もとの仕事は全然減らず
どういうことなのかとぼやきながら、ひたすらにデスクワーク

来週の前半には、スウェーデンから再入荷のトレーも届くはず
楽しみ、すごく楽しみなんだけれど、
検品の時間をどうやって捻出しようかしら

それにしても
通関に際して荷物の詳細を見ていたら、
総重量が100kg近かったので、思わず笑ってしまった
毎度、送料だけでちょっとした引っ越し並みだなと慄いていたけど
この重さならそうなりますね、!

 

きょう、関西では
ちちんぷいぷい』というテレビ番組が終わりを迎えた
なんと21年半ものあいだ、
午後に長時間やっていた、いわゆる情報番組だった

大学に入学し、はじめて関東で一人暮らしをしたとき
一週間分のぷいぷいをDVDにして持っていったことを思いだす
引っ越してからしばらくは部屋でそればかり流したために
出演者の会話をほとんど暗誦しているくらいだった
繰り返し見ても仕方がないタイプの番組なのにと、呆れてしまうけれど
わたしにとってあれは、育った土地の空気だったんだろう

日中の番組なので、最近はなかなか見ることがなかったけれど
火曜はときどき、リビングで仕事をしながら流していたよ
ずっと出演していたロザンの、無駄のない(ときどきは無駄しかない)
まっとうな、愛のあるコメントが好きだった


いつまでも、あると思っていた
自分がしばらく行かなくても、いつでもやっている、
時間ができたら、ふらりとまた立ち寄れる、
そんな、近所の喫茶店みたいな存在だった

わたしは、ほとんどテレビを見ない人間だけれど、
それでも、ぷいぷいはずっとやっていてほしかったなと思う
視聴者とも言えないのに、勝手なんだけれどね


21年半
すくなくともわたしにとっては、途方もない年月だ

昔のわたしをなぐさめてくれてありがとう
ずっと、そこにいてくれてありがとう

長く番組に携わっていらっしゃった方々に、
どうか、よりよい明日がありますよう

f:id:lumi31:20210308020309j:plain

 

外に出ることを、とにかく制限している今だけれど
近ごろは週に2、3度、
昨年新しくできたばかりのカフェへ行くようになった

本がたくさん置かれた店内は
ほとんどのお客さんがひとりで来ていて、静か
とくに、壁に向かう席ではまわりが気にならないので、
余計なことをなにも考えずにいられる

朝早く、あるいは夕方遅くにふらりと訪れて
スマホを仕舞って本を読み、すこし文章を書いたりする
リセットのための1時間

去年は、こういうことすらも考えられなかった
自分に、なにが必要かということ

 

なかなか、書くわけにはいかないんだけれど
店をとりまく状況は、おそらく今が2度目の底だろうと思う
1度目は、もちろん店自体を閉じていた去年の4月、5月で
あれより悪くなることはさすがにもうない(と信じたい)けれど、
6月、7月などと比べると、正直今のほうが深刻だ

ただ、こうなってくると
手を尽くして、あとは元気でいるほかない
輸入、も、小売、も
今の状況では、如何ともしがたい範囲が広すぎる


これは仕事についての話ばかりではなく、
工夫して着実に日々をこなすことは最低条件に過ぎないし
何もしなくてもなんとなくいい状況になることは、ほとんどない
それでも、その条件をクリアして、
一歩先を考えることができる日を待つだけ待ちたいと、思っている

いつもじゃなくてもよくありたい、自分を律して納得していたい、
わたしはわたしのそういうところに苦しめられてきたけれど
もう、それでいいんじゃないか

しゃっきりと居ることが、
自分にとっての光でもあればいいなと思うのだ

 

一昨日、新しい取引先が決まった
スウェーデンのガラス作家さんで、送ってもらうのはフラワーベース
実は3年ほど前から作品を知っている、というか使っているんだけれど
昨年末に増えたばかりの取引先もガラスメーカーだし、
そもそもうちの店は花瓶が多すぎるので、ずっと迷っていた

だけど、店が花瓶に占拠されるわけでもあるまいし、
単純に好きなものを増やしていけばいいのだと、踏み切った
美しいものはわたしの逡巡など飛び越えて美しいわけで
きっと、気に入って連れ帰ってくれる方たちが居てくれるはずだ


この3週間で、取引先になってくれませんかとメールを送るのは3件目
前の2件は、ふたりとも陶器の方だったのだけど、
この1年ほどのあいだに、作ることをいったんやめてしまっていた

こんなに厳しいときだから、
つながった縁を、大事にしたい
相手からもそう思ってもらえるような関係になれたらいいなと思う

それにしても
彼女のアトリエの場所、慣れ親しんだマルメなんだよなあ
こういう状況になる前に会えるチャンスもあっただろうに、残念

この道を歩いていれば、いつか訪ねていくこともできるはずと
今は、信じて行くしかないね

f:id:lumi31:20210303004024j:plain

 

3月1日
自分の誕生日が好きだ

なぜかというと、それはそれは単純で
幼稚園のとき、先生が
“春のはじまりの日に生まれたんだね”と言ってくれたから
それから長い時間が経って、とっくに大人になっても
この言葉とその印象を、ずっと大事にしつづけている

そして、ショパン芥川龍之介がこの日生まれというのも、
3月1日に愛着を感じる理由のひとつ
ただの偶然で、だからどうということもないんだけれど、
自分の誕生日が好きなわけなんて、まあそんなものだ


というわけで
また歳を重ねました

最早めでたくもなんともないけれど、
やっぱり、ここがまたスタート、と気持ちがすっきり切り替わる
そういう意味でも、月初が誕生日というのは
ちょっと、いいかも

 

きのうは、午前は仕事、午後は休み
おやつの時間には妹が、華やかな花束を抱えて来てくれた
納得のいく花束になるまでが大変だったらしくて、
息を切らせてことの顛末を話すので、ありがたく、可笑しかった

ケーキは、妹が予約しておいてくれたものを
母と、散歩がてら歩いて受け取りに行った
ほんとうに春という陽気で、ふたりして暑い暑いと騒ぎ
ケーキの箱を交互に持って、上着を脱いだ

妹と母と三人でケーキを食べ、
夜には、今度は父と母と三人でケーキを食べた
この日ばかりは、カロリーなど気にしない

こういうささやかな時間を、いまは本当に大切に思う
よい誕生日だった

 

毎年、同じようなことを書いているけれど
この日は、世界のあちこちにいる友人たちが
ほんのすこしだけわたしのことを考えてくれて、メッセージをくれる
そのことが、うれしい

人を信じることがきっとうまくなくて
友達も多くない、わたしだけれど
だからこそ、こうして連絡をくれる人たちのことを
本当に愛しく思う

これまでがあって、
そして、もしかしたら、これからがある
出会ってきた人たちのメッセージを読み、顔を思い浮かべると
ただそれだけのことが、尊く思えるのだった


そんな風に思いを巡らせて、
そしてきょうからもまた、歩いていく

明日はまた、寒くなるらしいけれど
いよいよ、春がはじまる