百花繚乱のバラのそばで、
ひっそりと息をひそめるように咲くウツギ

今年は、きゅうに暑くなったせいか
多くの花が駆け足で、一斉にやってくる
たしかに華やかなのだけれど、
この気候のせいだとわかっているから、薄い恐ろしさが消えない


片付けても片付けてもどうにもならない店を
整えながら、半年先のことを思う
この6年、風向きの変わるたびに
棚の上のものを押さえるようにして、どうにか続けてきたけれど
また、あらゆるもののコストについて
根底から考え直さなくてはいけない

だけど、悔いを残さない、というのは
いまのわたしにしかできないことなのだ、きっと

 

もうすこし前のことだけれど
不思議と、なにもかもが澄んで見える日があった

どうしてだったのかは、わからない
ただ、緑が濃くなった桜並木も
川にかかる橋のうえからの夕暮れ空も
どこからか聴こえる管楽器を練習する音も
わたしをひゅんと追い抜いていく自転車の背中も
くっきりと輪郭をもって、美しかった


横断歩道を渡りながら、ふと横に目をやると
まっすぐ続く大通りの先に、小さく京都タワーが光っていた

子どものころは、怖かった白いタワー
再放送されていたアニメ『ガンバの冒険』に出てくる、
イタチの“ノロイ”を重ねていたからだ
夜には、タワーに見つからないように、車のなかで隠れていたな、と
何年ぶりかで思いだした

時間をつなぐような大通りに、連なる車のヘッドライト
タワーは、あの頃のままの姿で、そこに立っている

 

抽象的でも、残しておきたい断片
後から読み返すと、きっと過渡期の自分がいる

ひとつひとつ、雑にしないでおこうと思うほどに、
より慌ただしくなる、5月

力を入れると手のなかで潰れてしまうかけらを、
諦めきれずに、持っている

深夜、母がテレビで旅番組の録画を流しはじめる
『ヨーロッパ トラムの旅』という番組で、
フィンランド・ヘルシンキ、4番のトラムの回

ふと画面に目をやると
トラムもだけれど、景色のほうに見覚えがある
まだ路線の始発に近いあたりなのに、なんでだろう、と考えて
その昔、ヘルシンキに3ヶ月弱滞在したとき、
最初の数日を過ごした場所の近くなのだと気がついた

こんなにも、変わっていないものなのか
そして、こんなにも、覚えているものなのか
画面に吸い寄せられて、しばらく動けなかった

 

まだ、どの外国語も、
英語さえも、覚束なかったころ
ヘルシンキ大学の夏季コースで、フィンランド語を勉強することにした
フィンランドと、ぽろぽろと口からこぼれる可愛らしい言語は
当時のわたしの憧れそのもの
留学は、ビザがいらないぎりぎりの短期でも、大決意だった

来る日も来る日も、フィンランド語のことを考えて
いつでもどこでも、目に入るすべての文字を読もうとした
ひとつずつわかるようになった、スーパーの野菜の名前や、
トラムの停留所にあるシャンプーの広告に並ぶ単語
あの鮮やかな体験は、
その後、いくつかの言語を学んでも、上書きされることはない


ちょうどユーロが高かったときで、
寮のキッチンで適当なサラダを作ってお昼に持っていき
家具のない部屋に置いた、イケアの小さなちゃぶ台で勉強した
部屋に電気を買わなかったから、日が短くなるとキャンドルで凌ぎ
小さなノキアの携帯電話は手に入れたものの、
部屋のネットは何度問い合わせても繋がらず、スマホもない時代なので
紙のポケット辞書を使い、調べものは図書館に行っていた

到着時にはロストバゲージになったので、
毎日同じ服で学校に行き、心配した先生から声をかけられた
やっと5日目に、あの最初の宿にスーツケースが届いたのだけれど
その数時間後、荷物から出したばかりの旅行用のドライヤーを壊した
電圧の切り替えがよくわからなくて間違えたからだ

薄着で秋口の北極圏に行って凍えたり
着の身着のままバルト三国を縦断したり
いま思うと、めちゃくちゃなこともたくさんやった
若い日のわたしは、見たいものと感じたい空気がそこにあればなんでもよくて
信じられないくらいに無鉄砲で、そのぶんどこまでもまっすぐだった


若いことの価値を、わたしはそれほど信じていない
それでも、まっさらな状態で吸収したものは、なににも代えられなくて
いまの足場は、あのころの経験でできている

自由というのは身につけるものだ、というのは
ジェラール・マセが書いた言葉だけれど
わたしが自由というものをすこしでも身につけたとすれば、
たぶん、あの3ヶ月なのだった

 

フィンランドは定期的に訪れているつもりだったけれど、
コロナ以後はいちども行けていない
取引先が意外とひとつもないから、というのが理由で
接点は半年に一度、空港でフィンランド語の本を買うことくらいだった

今年は2、3日でもいいから、
ヘルシンキで過ごす時間が取れればいい

かつて、言語を勉強しようと決心した本屋や、
毎朝気持ちを奮い立たせて上った、学校へ向かう坂道を
ゆっくりと、なぞるようにして

April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
Winter kept us warm, covering
Earth in forgetful snow, feeding
A little life with dried tubers.

The Waste Land — T. S. Eliot, The Waste Land, 1922
Part I “The Burial of the Dead”

 

四月が巡ってくるたび、思い出すのは
エリオット『荒地』の、この一節

忘却の雪が包んでくれていた冬を
覚醒を強いる残酷な春が、容赦なく壊していく
感じないことでなんとか生き延びてきたのに、
せっかく失っていた感覚を、無理やり起こすのが四月だ


壊れたままの人間と、それでも当たり前に巡る季節
第一次世界大戦後の荒廃した世界を生きたエリオットは、
さまざまな手法や意識を、断片のように同時に存在させて
一歩先へ行こうとしたように、わたしには思える

『荒地』は、残酷さを覆い隠さず
それでいて、どこまでも美しい韻律が続く
かつてのものの見方に逆らいながら、単語を選び抜いた、
勇敢な仕事だ、と、思う

 

わたしにとって、この四月は
例年以上に、なにもかもをまぜ返したような、
混沌とした息苦しさときらめきが同居している月だった

もうこのまま頑張ることはできない、と決めてから四ヶ月
なぜあのとき糸が切れたのかと、最近あらためて考える
思いつくだけでも、いくつもの根深い理由があるけれど
結局わたしは、もう休んでもいいんじゃないかと、
その瞬間に自分を許したのだと思う

さまざまな断片がつぎはぎのようになっていて、
まだひとつにまとまっていない、そんなとき
大切にしたいものに苦しさを纏わせないよう、注意を払いながら
ひとつひとつの瞬間を、目に焼き付けようとした
カロリーがかかって、消耗もしたけれど
休むと決めたことで、なにかが再生をはじめた兆しもある
宙に浮いたまま景色だけが流れていくような日々だった

 

 

仕事場の窓の銀杏は、またたく間に別の木のようになり
階段を上がるたび、重たくくすぶる心を癒してくれた
桜が終わったこの時季の若葉が、
わたしはいっとう好きなのだな、と、思った

きのうは、8歳の姪がわたしの店へ来たがったので
コンビニで、某メーカーのチョコレートを食べ比べできる小箱を買ってきて
この窓の前に座って“おかしパーティー”をした
姪は、店の膨大なコスチュームジュエリーのなかから
悩みに悩んで、オーストリアのガラスでできた花のブローチを選び、
袋に入れてシールを貼ってあげると、その袋ごと大事そうに撫でていた


純粋な言葉に、仕草に、救われる
8歳の目に映る世界が、愉しく美しいものであふれていればいい

もしかしたら、残酷なのは春そのものじゃなくて、
春によってなにかを感じさせられることなんだろう


どうか、穏やかに
同じ願いを、いつも何度でも繰り返す

わたしにとっても、愛する人たちにとっても、
この世界が、よりよいものであるように、と

 

妹家族があたらしい家に移り、
すこし時間ができた日曜日
母とふたり、知事選の投票に出かけ、
そのまま、花を見に行くことに

終わりかけのソメイヨシノと、
まだ八分咲きの枝垂れ桜
静かなはずの場所が、人でいっぱいで
ふたりで、また明日来よう、
ね、また明日、と言い合い、撤退


ちょっと気難しいおじいさんの珈琲屋で
しっかり美味しいアイスコーヒー
途中から日が出てきたので、腕が熱をもっていて
日焼け止めを塗らずに出てしまったことを思う

帰り道、母が
あのおじいさん、仕事が好きなのねえ、と言った
その言葉が、くっきりと残った

 

たくさんの書類に対峙している春
はじまりの季節だ

深く、呼吸をする
自営業も板についてきて、
息遣いひとつで変えられることもあると、
もう、よくわかっている


仕事場の窓のそとには、銀杏の新芽
今年はこれまでのどの年よりも、
2020年のことを思いだす

ちょうど、この週から休業することになったのだった
わたしにとっては、終わらない波の起点


この芽が大きくなる頃のことは
まだ、想像できないけれど

どうか、穏やかな日々がありますように、
わたしだけのことではなく、と
いまはただ願っている

 

怒涛の三月
仕事をすこしセーブして、
きょうまで、うちにしばらく滞在していた妹家族との時間を取っていた

家に戻ってインターホンを鳴らすと、
玄関でぴょんぴょん跳ねて待っている姪ふたり
3歳はわたしの膝にのしっと座って次々とものを見せてくれ、
8歳はとなりでいそがしくなにかを作ったりしながら
夜になると、明日はなにをして遊べるかとあれこれ考えている
やりたいことがこんなにたくさんあるのだなあと、
そのパワーにつくづく感心させられる

減らしているとはいえ、仕事は山積み、
自分のことも、あれこれ決めなくてはいけないときだけれど
このエネルギーを借りるようにして、前へ前へ
そういう毎日だった


先週末には、今年はじめて会う恋人と、
北陸でちょっと羽を伸ばしてきたりもした
金沢で車を借りて、富山県をドライブ
美味しいものを食べたり、海辺で電車を眺めたり、
図書館や公園を訪ねたりした

会うなり、こんなカフェがありますよ、と
お店の候補をいくつか出してくれたので、
さっそく大きなパフェを食べに行った
メニューを開きながら、誕生日だからね、と言ってくれて
そういえば、旅行でなにがしたいかと訊かれたときに、
誕生日を祝ってほしい、と答えたことを思い出した

お互いに仕事が忙しい3月1日には、
もうずっと、一緒にゆっくりできたためしがないのだけれど
何気なく言ったことを、こうして覚えていてくれるのだな、と
なによりそのことがうれしかった

 

8歳の姪と、布と糸で小さなお守りを作っていたとき
縫うのに失敗してしまった姪が、
でも世界の終わりじゃないから、と言ったので、おどろいた
わたしがいつか、無意識で口にしたからだろうか、
それとも、彼女のまわりのほかの誰かが、そう言ったのだろうか

“どんな失敗でも、ちょっとした悲劇なだけで、世界の終わりじゃない”
ロンドンでの留学生活の一年目、尊敬する先生からもらったこの言葉は
わたしの大切なお守りだ

このところ、世界の終わりに近いことを、考えてしまうことが増えたけれど
それでもわたしは、この言葉を信じている
たくさんの失敗たちを、ふりかかる小さな悲劇たちを、
泣いたり笑ったりしながら、超えていく
そうしてなんとか進んでいった先に、
ささやかに更新された、新しいなにかがあるのだと


姪に、そんなことを丸々話すつもりはないけれど、
いいね、その通りだ、と笑う
もうお仕事にいかなくちゃ、ちょっと貸してね、と布を受け取り
複雑に絡まった糸をほどいて、新しいやり方を教えることにした

わたしの買い物に付き合ってもらったとき、
白と黒のカットソーを、どっちが似合うと思う?と訊いてみたら
ぜったい白、○○ちゃんはいっつもハッピーだから!と言ってくれた
わたしは彼女が思うような人ではきっとないけれど、
それでも、もし小さな明かりを灯すような存在であれたなら、と思う


騒ぎ放題散らかし放題なものだから、
一昨日と昨日は、床に落ちているものを次々つまみあげては
これはどうしたの!?いいかげんにしなさい!とお説教モードだったけれど
それでも、姪たちは、わたしが帰ってくると玄関にいてくれた

もう、こんなに長い期間、同じ家で生活することはないのかもしれない
けれど、こうしてこれからも続けていけたらいい
愛をもって、一緒にいられたらいいな

いやいや、大変だったけれどもね
それでも、楽しい三月だったよ

 

冷え込んだ朝
店の、北向きの大きな窓からの光には、
まだ冬の、あわい粒だちがある

発送の支度をする手を、いちど止めて
枝ツリーに飾っていたオーナメントを、ひとつずつ下ろす
パールやガラス、青い紙のものを残して飾りつづけていたけれど、
それも、いよいよ仕舞うとき


下にワゴン車が停まり、
お花屋さんが、小さな緑の葉のついた枝を抱えて上ってくる
すっごく早いドウダンツツジです、と枝ぶりをととのえる手さばきに
いつもながらに、見惚れる

毎回お願いしているスワッグには、
明るいミモザがたっぷりと入っていた
あふれるような黄色いかたまりは、
ボナールの絵のなかに飾られたそれのようだった


作業をしてくれているお花屋さんと、休みの話
引く手あまたの彼だけれど
この季節はときどき、早朝から日本海までサーフィンに行くという

夏になると日本海は波が穏やかになるから、いまなんです、
太平洋は遠いから、昼までに戻って仕事はできひんし、と言うので
昼から仕事するんですか、と笑ってしまう
彼は、いったいどんなエンジンを積んでいるのだろう

ずっとひとりで仕事してると、
なんや詰まってしまうでしょ、という言葉に
深く頷いて、手を振るお花屋さんを見送った
この人と出会えたことも、わたしの仕事の財産だなあ、と思いながら

 

もう8年の付き合いになる、イギリスの作家さんから
先週送ったメールの返事が届く
文面から、早春の鳥の声やあたたかくなりつつある日差し、
球根や木々が目を覚ましていく気配が立ち上がり
瞼の裏に、この時季のロンドンの光が浮かぶ

自分をいたわること、新しいアイデアを育てる時間のこと
その大切さを、いまのわたし達は語り合っているけれど、
彼女にとっても、そこへ至る道のりは半ば強いられたものだったという

仕事でつながっているわたし達にとって、
前向きに未来の話ができることは、それだけで心づよい
でもそれ以上に、分け合いたい気持ちがあって
それがより息の長い仕事に必要なのだと、
ふたりとも、気がついているのだった

彼女は、わたしのメールを“letter”と呼んでくれるけれど
彼女のメールこそ、どこまでも美しい手紙のようだ


京都では、あと二週間で桜が咲くらしい
満開になったら、とびきりの写真を撮って、
絵葉書のように、彼女に送ろうと思う

すぐそこにやってきている春を、
待つ理由が、またひとつ

 

今年は日曜日の、
3月1日、春のはじまりの日

深夜、眠る前にニュースを見てしまい
ざわざわとした気持ちで文字を追ううちに、朝になっていた
重たい頭と疲れた体を引きずるようにして、
顔を洗い、コンシーラーでくまを隠す

きょうは仕事に行くの?と訊く母に、
確定申告があるけど、さすがにきょうはいいかも、と笑う
ニュースがまだ夢のような朝


ケーキを受け取りに行くついでに、
母と、馴染みのカフェで軽くお昼を食べる
ふたつ頼んだたまごサンドが、ひとつしかないと聞いて
わたしこの前食べられなかったからたまごが食べたい、と容赦なく言う母
わたしもそのとき食べられなかったし、
しかもきょう誕生日だよお、と一応ぼやきながら、ふつうに譲る
まあ、最近のわたしたちは大体こういう感じだ

ケーキを食べて、もう一度、今度は散歩にでかける
梅の花の強い香りを吸い込んで、
いい天気、暑いくらいね、と晴れ渡った空を見上げた

 

 

自分への誕生日プレゼントは、フェルメールについての本にした
ベルギーの美術館でどうしても欲しかったけれど、
あまりにも重たくて、持って帰ってこられなかったもの
二軒の本屋に発送を断られてしまい、
結局、いつものオックスフォードの本屋が送ってくれた

さすがに外へ持っていける重さではないので、
夕方は、やはりずっと読みたかった、別のエッセイをカフェで開いた
だけど、喪失についての一編が序盤に出てきて
まわりに悟られないよう涙を拭きながら、なんとかその章だけを読み切り、
Kindleでまた別の新書を読むことにした

ままならない自分を抱えて、
また一年、やっていく
それでもこの歳は、いまはまっさらの状態で
いつもと全然違うように描くことだってできるのだ、きっと

 

小包やカード、メール、LINEやWhatsApp
友人たちから、あちらこちらにメッセージが届く
この日にわたしを思い出してくれることに、感謝してもしきれない

妹は、日付が変わる瞬間をまたいで、ビデオ通話をかけてくれた
ひとしきりバースデーソングを歌ってくれたあと、
三歳の姪は、マシュマロおいしい、と画面に食べかけを見せてくれ
八歳の姪は、たんじょうびなのわすれてた、と大きな声で正直に言っていた

やはり深夜に連絡をくれた恋人は、
もし神様が本当にいるなら見てくれてると思いますよ、と
めずらしいことを言っていた
離れて暮らしていても、誰よりもわたしをよく知る彼のその言葉は、
神様よりもわたしを救ってくれた


みんなが健康で、幸せでありますように
それが、わたしのいちばんの願いだ

新しい約束もできたりした、
ひっそりと、にぎやかな誕生日