身体のふしぶしが痛くて目が覚めた朝
ブラインドを上げると、夏の光が入ってくる

きょうから、8日間の休み
自分のための空白の時間が、はじまった


床で文字通り山のようになっている本と、
クリーニングから戻ってきた洋服と
それから、旅と仕事用のものでいっぱいの部屋

どこから手をつけようかと迷って、ひとまず、
本の山をジャンルごとに分けて整理する
5つの山は、組み換えてもやっぱり5つの山で、
べつに分量が減るわけではないので笑ってしまう

そして、旅用のものを、
今回の休み中の旅行でも使う、最低限必要なもの
長期の出張ではかならず使うもの
使う可能性は一応あるものと、思い切って処分するものに分ける
これは、意外に処分するものがあれこれ出てきて、
とくに“便利そうなもの”は定着するとは限らない、という
すべての片付けに通じそうなことを、しみじみ感じる

洋服は、この連休の最後にクローゼット全体を整理することにして
掃除機をかけ、拭き掃除
分類と片付けは違うとは痛感したものの、
ひとまずは悪くない

 

夏至の日はちょうど、家にいないので
苺のショートケーキを買ってきて、母と一緒に食べる
スウェーデンの美しい夏至祭の記憶を連れ歩くわたしの、
毎年の小さなお祝いだ

一年前に比べると、ずいぶん値段が上がっているケーキ
母に、あなたももっと物の値段を上げないと、と言われて
ついつい悲しくなり、ちょっと言い返してしまう

簡単じゃないのだ、なにもかも
店のすべても、数日だけ、店を忘れることも


何年か経てば、あの年のケーキはああいう会話とともにあったな、と
懐かしく思うんだろうか
濁流にのまれるような今を、あの頃はほんとうに大変だったねと
笑える未来がちゃんと来るだろうか

そんなことを思っていると、空がみるみる暗くなり、
轟音とともに雨が激しく降りはじめた
慌てたのに、半時間も経つと雲のあいだからはまた青空が覗いていて
その変わり身の早さになんとなく救われた気がした

 

ずっと編んでいた姪のセーターを仕上げたり、
いつもより長くスウェーデン語の勉強をしたり
休みなのに休んでいない、と家族には心配されるわたしだけれど
まずは、こういうことのために休みがある

来週の旅先は、ずっと雨の予報
だけど、外で観光をする予定があるわけではないし、
飛行機さえ飛んでくれれば、それでいいと思っている

好きなだけ眠って、好きなときに食べて、
見たいものを、見たいときに、静かに見つめる
穏やかな数日を過ごしたい

 

 

オンラインショップの仕事の合間に
ネイリストさんのところへ

休暇で台湾に行くから、パイナップルっぽくしたくて、という
わたしの安直すぎる話を、ネイリストさんは真剣に聞いてくれる
帰ってきたら梅雨真っ只中で、もちろん仕事もあるのを踏まえて
どの程度パイナップルにするかを相談することに


結局、日和るとパイナップル感が失われてよろしくない、
全指いさぎよく、黄色に茶色がかったオレンジをすこし混ぜて、
当初予定にあった緑やグレーは入れずにおこう、と落ち着いた
じっくり見ると深みもある色で、大満足
トロピカルって単語、数年ぶりに使ったわ、と
ふたりで一緒になって笑った

ここは日和ると何がしたかったんかわからんようなると思うねん、と
ネイリストさんはハッキリと伝えてくれる
わたしも、試しに色などを足してみて違和感があったら、
これもしかしてないほうがよくないかな、どう思う?と
遠慮せずに切り出すことにしている

雑談がいつも楽しいのはもちろんだけれど、
こういうざっくばらんな関係が、唯一無二だから
わたしは彼女のところにずっと通っている
彼女が仕事をしているかぎり、通いつづけると思うよ

 

さて、突然だけれど、この半年の仕事の話
実は今年は、新しい取引先をほぼ見つけられていないこと、
既存の取引先の新商品も、発注を躊躇うものが多いということに
焦って、ずっと、どうしようもない気持ちだった

コロナがひと段落ついてからというもの
原材料もエネルギーも輸送も、
それぞれの国の物価そのものもどんどん高くなっていって
雑貨の業界はよりきびしさを増している
結果、確固たるブランド力のある高価格帯のものか、
トレンドに乗りつつコストを削ったものが目立ち
中間の価格帯の個性的なものは、随分見つけにくくなってしまった

付き合いの長い取引先にも
今年は、続けられずに廃業してしまうところが立て続けに出たし
ほかの会社も、やりくりに苦労しているのに大幅には価格が上げられず
作りたいものを作れない、セールスも予測ができない、という話を方々で聞く
そんなときだから、展示会も以前より画一化してしまっていて
2019年ごろまでの、とりどりの花畑のような明るさはない


わたしは、そのなかでもがいて、
すばらしいものを地道に作っている人たちを見つけなくてはいけないんだ、
絶対にいるはずだから、と、ずっと自分を追い込んでいた
その気持ちは今ももちろん変わっていないし、
そういう人たちはちゃんと存在しているけれど
だけど、とくに円安のいまの状況下ではうちの店だって
以前のように、質を維持したまま絶えず変化することはむずかしい
やっと、そういうあたりまえのことに思い至った

そもそも、今のこのスピード感や商品数自体が、
ひとりの小さな店にしてはあまりにも頑張りすぎている
そして、歪なこの形を維持させてくれるような十分な資源は、
いまは、知るかぎり、わたしが活動している場所にはない
悲しいけれど、でも、
現状を鑑みるとこれは仕方がないし、むしろ健全なことだ

それなら、わたしは、
変わっていく速度を落とすのがいい
ひとつひとつの商品のセレクト、その質だけはけして落とさず、
取り巻く景色がすこしずつ良くなって
取引先やこれから出会う人たちが、動きやすくなるのを待つのがいい
いつ上向くのかは、わからないけれど

もちろん、わたしはものを売らなければ店を続けられないし
お客さんはとにかく変化のスピードが早いから
今あるものにきっと飽きてしまう
そして、現行品を育てなければヴィンテージの仕入れにも障るけれど
それでも、わたしにとって妥協すべきは、
質ではなく速度のほうなのだと思う


この半年、加速していく円安の中で、
苦しみ抜いて考え抜いた
やっとそれが、すこし実ったという気がしている
書いてみると、当然のことしか言っていなくて笑ってしまうんだけど、
店を潰してしまう可能性も大いにあるわけだから、
こう気持ちを切り替える勇気が、わたしにはなかったんだよ

幸いなことに、この半年間、店の売上は伸びている
それだけ、うちにはお客さんがいてくれて、
そのうちの何割かの人たちは、わたしの目を信頼してくれているのだと
都合よく解釈して、これからも誠実にやっていきたい


店自体は、そんなに変わらないかもしれないけれど
気持ちの区切り

今週を終えたら、休暇
そして、新しく、2024年の後半がはじまる

 

ヴィスワヴァ・シンボルスカ 『終わりと始まり』を
近ごろまた、毎日のように持って歩いている

『瞬間』が、枕もとに置いておきたい一冊なのに対して
こちらは、開くことがすこし怖い詩集
わたしにとっては、ずっとそう

それでも、何度でも開いて、
なんて雄弁な詩群だろうと思う
2012年に亡くなっているシンボルスカは、
いまわたしたちが立っている荒野を見ることはなかったのに
彼女が静かに発しているのは、まさに今への言葉だ


憎しみという感情を
“元気で矍鑠たるもの”
“有能で、のみ込みが早く、仕事熱心”と表現し
“人を虜にできるのは我を通す憎しみだけ”と言う

“それは美を作りだすことができる
真っ黒な夜、その炎の照り返しはすばらしい”
彼女は、そうあえて言葉にすることで、
まっすぐな辛辣さを失わずに立ちつづける

黒々とした気持ちを、
シンボルスカの詩は、縁からじわりと溶かしてくれる
そのきびしさと、透明な悲しみで

 

私はここにいて、見ている それがめぐりあわせ
頭上では白い蝶が宙を舞う
はためくその羽根は蝶だけのもの
わたしの手の上をさっと飛び去る影も
他の誰のものでもなく、まさしく蝶自身の影

こんな光景を見ているとわたしはいつも
大事なことは大事でないことより大事だなどとは
信じられなくなる

『題はなくてもいい』より

 

蝶や、空や、野の露
わたしにとっても、こういうものは
自分とその外を繋ぎ、価値基準を動かしてくれる存在だ
その美しさは、たとえば、巣食う苦しみからの単純な逃避、
あるいは現在や未来への希望を託す容れ物、という
明快な役割を与えられるものではなく
憂いや無垢が境界なく混ざりあって霞のように広がったなかに、
光の粒のように、ただ在る


彼女の詩を読んでいると、
こうしていてもいいんだ、と思う反面
こうありたいと、背筋も伸びる
シンボルスカが本当のところ、なにを思っていたのかは、
もちろんここにある文字以上のことはわからないけれど
それでも

とくにこの本の前では
わたしはわたしの話しかできなくて、自分の稚拙さにあきれてしまう
だけどもしかしたら、“わたしの話ができる”ということは、
詩が書けないわたしへの、なによりの救済なのかもしれない

 

夏至の近い今
仕事が終わった時間でも、空は青く、高かった
葉が箒のようについた銀杏の木のそばに座り、
また、本を開いた

“この恐ろしい世界には魅力がないわけではないし
起きるに値する朝だって
あることはある”

彼女の言葉を信じよう
すくなくとも、まだ、しばらくは

 

花屋さんにすこし残っていたスカビオサ
けっこう花がパラパラしてるから、と言って
お店の方がサービスしてくれた

茎がうねうねでかわいい
もうすこし背の低い花瓶に飾ってもよかったかしら

陽当たりなのか風通しなのか、
仕事場は、ほんとうに花が長く、きれいに保つ
これも、このビルが好きな理由のひとつだ


先週からの怒涛の仕事を終え、
きのうの大雨を越えて
きょうはやっと、気持ちがすこし晴れた
なんだかんだ、きょうもデスクワークの日だったけれど、
それでも、多少はすっきり

あまりの雨にきのう出せなかった荷物を出しに行き、
半時間、バラ園を歩く
盛りが過ぎているバラは、もうふわふわはしていないけれど
色が褪せても、目が離せない艶やかさがある

力強さを増した空の青
風も、もう初夏の匂いがする
首が詰まった服も、フェルトをあしらったペンダントも
そろそろお休みかもしれないね

 

4月の終わりにポール・オースターが亡くなり
アリス・マンローも、今月半ばに逝ってしまった
これからは、ふたりがいない世界、
そして、ふたりが見ることのない、描くことのない世界を
わたしは生きなくてはいけないということになる

たよりない気持ちになっていても、
仕方がないことはわかっている
それでも、このどうしようもない寂しさを、
動かさずにこのままにしておきたい


大河の一滴とも言えないような読者のわたしでも
遠くまで連れていってくれる人たちとして、
彼らのことを信頼している
今も、これからも、変わらずに

勝手に、置いていかれてしまったような気がしていたけれど
彼らの小説は100年先でも生きて、
多くの人を照らす光でありつづける
文字が、文章が、物語が、読まれるというのはそういうことだ

この世から離れたようなバラ園を歩きながら、
ぼんやりと、そんなことを思っていた

 

白昼夢のようなバラ園の片隅で
ひっそり、ひときわ優雅に咲く“ノヴァーリス

2010年のドイツで、このバラに詩人の名前をつけた人は、
単に、“青い花”を目指して作り出したからそうしたのか
それとも、求めても青色に届かない、藤色のような花だから
あえてあの作品になぞらえて、彼の名前をつけたんだろうか


ノヴァーリス、どういう意味なんやろ、と話すご年配のご夫婦に
思わず挨拶して、作家、詩人の名前なんです、
ドイツの、200年くらいは前のひとです、と声をかけてしまう
出しゃばったかしらとすぐに不安になったけれど
お二人は、いいことを知ったと言ってとても喜んでくれて
青の花は作られへんねんな、だからみんな作りたいんやなあ、と
ゆっくり、追憶するように目を細めていた

そうや、あの通りの新しくできたお店の前にな、
青い青い胡蝶蘭があったで、と話はつづく
見せたげよ、とスマホでその写真を探しながら
ご夫婦は、この1週間で5つものバラ園を訪れたという話をしてくれた
大阪へ2日間行っただけでへとへとになって、
9時間泥のように眠ったわたしよりずっと元気だ

写真を見せてもらった胡蝶蘭
想像を超えた真っ青だった
わたし以外にも、ひとり、ふたりと人が集まってきて
ほんまや青い、とスマホを覗き込んで笑う
青い花がつないだ、数分の縁

空に浮かんだ雲のように咲く満開のバラの中で
言葉を交わして、また歩きだす
どこまでも明るく、やっぱり夢のような午後だった

 

日曜と月曜は、連休にして
関西へやってきた恋人と出かけていた
月曜は5年ぶりのユニバ(念願のニンテンドーワールド!)
日曜は、IKEAとウィンドウショッピング、そしてセーラームーン
誇張でもなく、数ヶ月分のエネルギーを使った

ユニバをはじめ、全部もちろん楽しかったんだけれど
セーラームーン展には、思っていた以上に心を揺さぶられた
名場面とともに音楽が流れるだけで、涙が出てくるとは思わず
自分の最深部を晒したようで、すっかり狼狽えてしまった


わたしが、青を好きになったのは
セーラーマーキュリー、亜美ちゃんの色だったからだ
かしこくて、眼差しは柔らかくても強い亜美ちゃんは
ずっと憧れで、手が届かない目標だった

そんなにかしこくないわたしでも、
勉強することをかっこいいと信じたのは、亜美ちゃんがいたから
きっと、セーラームーンのない子ども時代を送っていたら、
わたしの人生はまったく違うものになっていただろうと思う

わたしの“青い花”は、心優しいIQ300の天才少女だよ
大人になった今でも、きっとおばあちゃんになっても

 

 

そんなわけで、仕事で使うファイルを新調
武内先生の原画、本当に本当に美しかったな
それになによりも感激したよ

セーラームーンと、子どもだったころの憧れを胸に
自分にできる全部で、かしこく、強くありたいね

 

オンラインショップの仕事を終えて
ようやく人心地

作業台を兼ねている昇降デスクの上を片づけ、
こまごました道具を所定の位置に戻し、机の高さを下げる
退けていた椅子をまた持ってきて、ごみ箱の紙ごみを捨て
手が届くワゴンに置いている梱包材や段ボールを補充したら
だいたい、3日前の状態だ

6畳1間の普通のアパートを
梱包作業と事務作業、どちらにも良いように整える
なんでもないひとつひとつが、
わたしには、大事


ソファがわりにしている寝椅子の足もとには
スウェーデンの写真家、Anna Clarénの作品を置いている
2013年の、ストックホルム・Fotografiskaでの展示のポスターで
その年と翌年、ロンドンの家に飾っていたもの

実は、そのとき飾っていたポスターそのものは、
持って帰ってきたはずなのに、引越しのゴタゴタで失くしてしまった
それをどうしても諦められず、Fotografiskaに問い合わせたら
美術館のショップにはもうないけれどオンラインにはまだ在庫があり
国内のみ発送ができる、との答え
そんなわけで、ストックホルムへ行く機会をうかがい、
今年の1月、ついに、ホテルに送ってもらって持ち帰った

そこまでして、と自分でもあきれてしまうけれど
10年の時を経て、ここにまた飾っているポスターを
やっぱり、これはわたしの人生にあってほしい、と思う
日に焼けないように額装してもらったから、
きっと、ずっとそばにあってくれるだろう


それぞれの額に、特別な記憶
最近は、事務所を、額たちに守ってもらっているような気がしている

店をやるうえでも、いつも考えていることだけれど
なにかを飾るというのは、わたしにとって、
心を支えるため、というと大げさだとしても
まあ、そんなようなものなのだ

 

この三週間は、仕事をしているか、
そうでなければ体調を崩していた

来週前半までは、今度は
プライベートの予定もぎゅうぎゅうに詰まっている
それはそれで不安ではあるけれど、
楽しいことなんだから、思いきり楽しみたい


ともあれ、5月の仕事は峠を越えた
ここからは6月いっぱいまで、
例年の通りなら、わりに落ち着いて過ごせるはずだ

すこしゆっくりした日々を送るために、
まずは明日から、店に立つ三日間をまっとうしないとね

 

バラを見に散歩に出かけ、
あちこちで咲くウツギに引きよせられる

なぜか毎年、待つことを忘れているけれど、
見かけるとはっとする花というのがある
わたしにとって、初夏のウツギはそういう存在だ

卯の花の匂う垣根に 時鳥、早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ”

 

昨夜は、長い夢を見た
おそろしいけれど、目が覚めたときにはある種の爽快感がある、
実は大切ではないなにかを失うという夢だった

まるで短篇小説みたいだな、とおもしろくて
内容を細かく書き起こしたんだけれど、
結局、ぜんぶ消してしまった
あれはわたしの意識のなか、深くで起きた出来事で、
この世界に持ってきてはいけない気がしたからだ


吐き出せない気持ちを小箱に入れて沈めているうち、
ファンタジー、あるいは寓話のようななにかに変わる、ということがある
普段は見ないようにしているそれは、夢のなかでときどき開いて
わたしを、苦しめたり、ちょっと救ったりする

子どもの頃にはすでにこんな感じだったし、
“小箱”の話は20歳くらいのときに書いた文章も残っているから
これは、わたしが自分なりに身につけた、身を守る術なんだろう

持ってきてはいけない、と書いたけれど、
そんな風にして生まれたものだと思っているからかもしれないな
ここで開けてはいけない箱

 

さて、店のゴールデンウィーク期間も終わり
今年は曜日配列がよかったので、臨時営業日は設けず、
今週の3日間だけ、各時間の人数を増やす、という形で
どうなるかと思ったけれど、正直、丁度いい塩梅だった

店舗に立つ時間は、わたしにとって仕事の小さな一部で
裏方というか、そういうような時間のほうがずっと長い
そのことを考えずに全力で走りつづけるのは、ある意味楽なんだけれど
元気に立ちつづけることの難しさから、目を背けない、というのが
今のわたしの課題だと、ほんとうに思う

ひとりで仕事をするというのは
つまり、大体やってみなければわからない、ということでもあるね
今さらなんですけども


この5月は、いつになく
あちこち出かけたり、いろんな人に会う予定がある

仕事も詰まっているから、瞬く間に過ぎそうだけれど、
今だからできることを楽しめたらいいな