休暇、最後の目的地は
スペイン側のバスク地方サン・セバスティアン
なにも考えずに散歩がしたくて、
以前にもいちど訪れたこの町へやってきた

海辺では、砂浜にゴールを置き、コートを描いて
子ども達がサッカーをしていた
かわるがわる張り上げる声が、波の音に重なる
ちょうど引き潮で、まだ水が残っているところもあるのに
皆かまわないという様子で、ボールを追っていた

わたしの好きなサン・セバスティアン
そして、わたしがサッカーを好きな理由が
数年の時を経ても、変わらずこの砂浜にはある

 

サン・セバスティアンは小さな町だけれど、
安くて美味しいピンチョス屋がひしめいている
パン屋と、コーヒー屋と、チョコレート屋も

前回来たときは学生だったから、
旅先でお腹いっぱい食べられるということに感激したものだ
今も正直なところ、その感覚は変わっていないけれど、
今回は、より好きなものを、好きなだけ食べた


思い立ったら海辺を歩いて、
夜は、ひさしぶりにKindleで漫画を大人買いして読んだ
サッカースタジアムまで出かけていって賑わいを楽しみ、
カフェでコーヒーを飲みながらただ道ゆく人を眺め
仕事とは関係のない買い物を、いくつかした

楽にしていればいいのに、ずっと少しだけお洒落をしていたのは
学生の頃とは違う心持ちでここに居たかったからかもしれない
ちゃんと心を休めることができる、自分で

 

 

休みが終わってしまうのが悲しくて、
ピンチョス屋で夕食をとった後、すっかり暮れた旧市街を歩く
スペインの夜は長いから、19時半はまだまだ入り口
普段は旅先で夜の散歩はしないけれど、たまにはいい

アイスを買って、雑踏のなかで齧る
帰りたくなくて駄々をこねるなんて、子どもみたいだ
大人になれない大人


まあでも、しっかり充電ができたから
また、わたしなりの日々を精一杯やるだけよ

前よりもちょっと背筋を伸ばして
愛すべき仕事の場所へと、飛んで行く

 

海辺の保養地、ビアリッツの海岸
グレーの風景を前に強風に吹かれていたら、
みるみるうちに空が晴れ、光が広がっていった

遠くの白い灯台と、
紋を作りながら打ち寄せる波
遊歩道を歩いていた人たちはみな足を止め、
ただじっと青く変わっていく海を見つめていた

どう言い表したらいいかわからない、
こういう、何か大きな存在に与えられたような時間が
旅には、ふと訪れる

 

パリでの仕事を終え、中三日の休暇
フランスの南西の端、
バスク地方へやって来た

授業でちょっとバスク語に触れたことをきっかけに
この地域にはずっと興味があった
それで、大学生活の終わりにスペイン側は訪れたのだけれど
フランス側へは来られないまま
だから、今回は念願だ

まずは、バイヨンヌビアリッツ
サン=ジャン=ド=リュズを駆け足で巡る
体調を崩し気味なのに、
やりすぎなんじゃないかとは思うんだけれど
まあ、なかなかここまでは来られないから

 

 

バイヨンヌは、バスクの風情が濃い美しい町で
巡礼路にあるという大聖堂も素晴らしかった

さまざまなところを歩いていると
いつまで経っても、自分の知識の足りなさに不安になる
けれど、もっと沢山のことを知りたい
その土地が、その場所が語ってくれることを聞き逃したくない
そう思いつづけて今があるし、
これからも、そうして積み重ねていけたらと思う

初めて訪れる町で美しいものに触れると、
小さなわたしでも、せめて正直な旅人でありたいと願うのだ


遠くへ、もっと遠くへと、ここを選んだ
ずっと興味があったとはいえ、そう言ってしまうくらい、
バスクはもともと、わたしの範疇からは遠いというか、
エキゾチックな場所だった

だからこその休暇を、
存分に、楽しむつもり

 

 

朝、狭いホテルの部屋から出ると
曇り空と、ぬるく強い風
慣れない街の匂いに面食らう

通勤らしい足早な人たちの流れに逆らって
特有の心ぼそさをつかまえる
そう、パリへ来たのだった


昨日のストックホルムからの移動は、
当初予定していた直行便がキャンセルになり
コペンハーゲン経由の乗継便だった
そのうえ今度はコペンハーゲンからパリまでの便が大幅に遅れて
ホテルに辿り着いたら、もう深夜
それで、寝て起きても、まったく現実感のないままだったのだ

重たい身体を引きずるようにして、
あいかわらず馴染まないこの街を、歩きだす
いま、見ておきたいものが、
ここにはたくさんある

 

 

ストックホルムでの数日は、
慌ただしく、そして凍えそうな寒さだったけれど
とても充実したものになった

最終日には、長年通い続けている本屋にも寄った
ひとりの女性が、おすすめはあるかと店員さんに声をかけると
そこにいた皆が集まってきて、店員さんの言葉に耳を傾ける
この店のこういうところが好きなのだと、思った

ストックホルムは、わたしにとって
自分の現在地を確かめられる場所なんだろう
だから、来るたびに、視界がよくなるような感覚があるし
足もとがちょっと揺らいだり、自信を得たりする

こうして、いつまでも学びつづける
気が遠くなるけれど、それはそれでいいじゃない

 

ストックホルムでも、パリでも
今回は展示会へ足を運んだ
広い会場にひしめくものたちはどこまでも明るく、
情報過多で卒倒しそうなわたしのことも元気づけてくれた

とはいえ、この華やかな世界で
わたしには見つけたいタイプのものが明確にある
“泳いでいたい井戸がある”と以前に書いたことがあるけれど
まさに井の中の蛙上等、そこは頑固にやりたくて
そうすると、出会いはなかなか巡ってこない

それでも、ものを相対的に見られるというか、
自分の店を客観的に見られる、またとない機会
それには大きな意味がある、と、
あらためて思ったふたつの展示会だった


そんなわけで、とにかくへとへと
今夜はしっかりストレッチして、回復に努めなくては

学生だった頃みたいに
余韻に浸っている時間はない
短いこの町での滞在、全力で行くのみだ

 

会いたい人に会うために
小さな地方の町へ

バスを降りると、名前を呼ぶ声
緑のロングコートを羽織り、雪をかきわけて走ってきた友人と
思いっきりハグをする
なんといっても4年ぶりの再会だ


画家であり、デザイナーでもある彼女とは、
7年前のちょうど今ごろ、展示会で知り合った
広い会場の片隅、所狭しと作品が飾られた小さなブースで、
わたしは文字通り、恋に落ちたのだった

以来、彼女の絵を使ったトレーやコースターは
ずっとわたしの店のまんなかにある
作品が目に入るたび、お客さんが手に取ってくれるたび
本当に店をやっていて良かったなと思う
そういう存在


以前は、ストックホルムへ行くたびに会っていたのだけど
コロナでわたしの出張がストップし、
彼女は地方に引越して、お子さんが生まれた
しょっちゅう話はしているのに、会えなかった4年
顔を見ると、ふたりして、ちょっと感極まってしまった

元気でいてくれた愛猫と
1歳になったばかり、なんでも投げたい年頃の娘ちゃん
初めて訪れる家には、ストックホルム時代から変わったものと
変わらずあるものが共存していて
当然のことなのだけれど、なんだかとてもうれしかった

 

出会った頃、彼女のものを扱う店は、
ヨーロッパ中にたくさんあったけれど
あるときを境に、彼女は取引をすべてやめてしまった

どうしてもあなたの作品を扱い続けたい、と粘ったわたしに
彼女は、じゃああなたが欲しいと言うかぎりものを作る、と約束してくれた
あの日があるから、今がある

7年間、互いに苦しいことも多かったからこそ
いま、こうして並んで未来の話ができるのだ
仕事の相手として、あるいは友人として


町の気に入っている場所を、たくさん教えてくれたことも
庭で、鳥に餌をやったりしたことも
作品や、作業をしているところを惜しみなく見せてくれたことも
夕暮れの色に染まった雪道で見送ってくれた姿も
いつか、わたしが店をやめることになったら
きっと真っ先に思いだす

美しい一日の記憶を、そっと仕舞って
まずは、また、この先を歩いていく

 

朝8時、降り立ったストックホルムは、
マイナス15度という気温

機内持ち込みにしていたリュックから
防寒着をつぎつぎ出して、重ねる
これくらい寒いところをまとまった時間歩くのは、
さすがに結構ひさしぶりだ


大きなスーツケースを二つ引いていると
ミトンでは歯が立たず、あっという間に指先の感覚がなくなった
まだチェックインの時間になっていないホテルに荷物を預け、
青空の下、まず手袋を探しに

アウトドアブランドの店に入ると、
ちょうど手袋がセールになっていた
とくに暖かそうなものを店員さんと相談して選び、
買ってすぐにタグを切ってもらう

出張のはじまり
想定以上の寒さは、もちろん困るんだけれど
こういうイレギュラーな買い物は、なぜか少しうれしい

 

 

関空からヘルシンキまで、まず13時間
飛行機はロシアを避け、以前より3時間以上も長い時間をかけて
北極海の上を飛ぶ

小さなパネルの、見慣れない地図
グリーンランドを右手に見ながら、
地球は、その名前の通り球体なのだな、とぼんやり思う


感染症だけが問題だったころは、
人が人の手でもっと世界を変えてしまうことを想像しなかった
こんなに狭い球体のうえで、
いちどきりの人生同士が駒みたいにぶつかり合って散るなんて
あまりにも残酷で馬鹿げている

わたしが仕事でお客さんと共有したいものも
自分の人生で大切にしていたいことも
ただただ小さすぎて、途方に暮れて泣きたくなる
いったい、こんなこと、なんになるって言うんだろう
本当はわたしこそ、馬鹿げているのかもしれない


それでも、わたしは
美しいものを作る人を探しにここに来ている
そして、人より長い時間を超えてきたものを探しに

絶望的な無力感を連れたまま
祈るような気持ちで、新しい出会いを望む
小さなわたしなりの仕事を
やり切って帰りたいと、思っている

 

年末年始を働き抜いて
一泊二日の旅へ

吹き飛ばされそうな強風のなか、
砂丘を歩き、湖をぐるりと一周した
寒い寒いとぼやきつつ、よく歩き
まるで社員旅行のようだと笑いながら、
いわゆるリゾートホテルで土地のものを食べた

ほかに乗客のいない、小さな遊覧ボートに乗って
ガイドを聴きながらユリカモメと並走した
白い羽を広げる鳥たちは、
きらめく湖面から飛びだしてきた光のようだった

日常を離れることに、意義があるとしたら
こういう時間を集めて、
スクラップブックみたいに心に留めておけることだ

 

今年の目標は、
もっと、広い視野を持つこと
思索と試行錯誤を大切に、
多くのものを疑い、多くのものを信じる一年にしたい
抽象的すぎるかしら

あとは、今年こそ
“こんな風にしたいわけじゃなかった”を減らすぞ
精神を鍛える2024


人生があといくつかあれば、
ああしてみたい、こうしてみたい、とわたしは言ったりするけれど
生身の人間には、人生はひとつしかないわけで
それならどれが現世でできるのか、今年は真剣に考えたい
無理だと思っていたけれど実現できそうなことも、
実現できるかもしれないけれど本当は必要なさそうなことも
きっと、もっとあるはずだから

選ばなかったこととの折り合いをつけるのは、むずかしい
けれど、それと、自分が選んできたことを
思いきり全うする、ということは別の話なのよ
たぶんね


はじまったばかりの今年
どうか、この先に明るい355日があるようにと
ただ、願っている

 

年内の店舗営業を
きょう、終えた

とはいえ、本来明日までの棚卸はまだ手をつけた程度だし
元日からは諸事情でオンラインショップを開ける
だから、来週のわたしは休みどころか朝も夜もなく働くんだけれど
それでも、総まとめの心持ちにはなるというか、
今年はこれで、と区切りをつけたくはなるから不思議だ

あのときだからあんなことができた、と
もしかしたら後々思うのかもしれない
仕事漬けの年末年始


きょう最後のお客さんのレジを打っていたら、
Emilíana Torriniの、Sunny Roadが流れてきた
わたしの様々な土地での記憶を一本の線のように繋ぐ、
この世でいちばん好きな歌のひとつ

ひとりになって、締め作業を終わらせてから
音量を上げて、もういちど聴いた
何千回聴いたかわからないこの曲なのに、
なぜだか、涙が出た

It's time, meet me on the sunny road
来年こそは、きっと、
そんな年になればいい

 

 

今年は、とにかく
ひとことで言うと、状況のよくない一年だった
自分のことでも、他人のことでも、心を痛めて過ごし
仕事では、小さな仕入れひとつさえも重たかった

その一方で、去年もそうだったように、
そのときどきでじっと真剣に考え抜いて
軸をぶれさせることなく選択ができた一年でもあった
それは、店としては運よく結果に表れてくれたと思う
結果を得ることがいかに難しいかをずっと体感しているだけに
わたしにとっては大きなこと

自分で言うのもなんだけれど
まあ、とにもかくにも強く生きました
よくがんばっているよ、2020年からずっとね


逆風だなんだと言うものの
コロナが始まったときには吹けば飛ぶようだったわたしの店は
いまは、しっかりした煉瓦の家のようになった
わたしがこうして変わらずここにいて、
かつ、チャレンジ精神を持っていられるのは
たくさんのお客さんがいてくれるからだ

田辺聖子が教えてくれたのは、世の中に片隅なんてないということだった。どこで働いていようと、仕事場はこの世のすべてを体現している。そこで出会う人々が、小さな「やさしみ」の交換なしでやっていけるだろうか。ほんの一瞬でも、一度だけすれ違う間柄であっても、それは今も必ずやりとりされていて、ぎりぎりのところに手を添えてお互いの生存を支えていると、私は思っている。
(斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』所収 「「やさしみ」のやりとり」より)

最近すこしずつ読んでいる、斎藤真理子さんのエッセイに
ちょうど出てきた話
年の瀬に読むと、さらにぐっとくる

この一年、店を開けていた日には毎日、
「やさしみ」を感じる一瞬があった
ひとりで働く仕事場で、
わたしの店そのものであってくれるお客さんたちに
本当に感謝している

 

今年は、色んなことを書けたような気も、
ますますなにも書けなくなったような気もしていて
それでも、こうしてごく個人的なスケッチが
文字という形で残っていくことを
わたしは好もしく思っている
文章にするならば、残しておくことは選べるからだ

そして、もしかしたら
わたしは、この日記を読んでいる誰かと、
遠い場所にいながら、なんとなく並走できているのかもしれない
多くの方から声をかけていただくにつれて
そんな風にも思うようになった

だけど、やっぱり、ここに書く文章は
誰へも、どこへも、向かわないようにはしていたいな
なんでもないことを、なんでもないままに
これからも、ただの日記を書いていけたらいい


読んでくださっている皆さま
今年もありがとうございました

そう言ったって、数日後なんだけれど
来年、また会いましょう