年内の店舗営業を
きょう、終えた

とはいえ、本来明日までの棚卸はまだ手をつけた程度だし
元日からは諸事情でオンラインショップを開ける
だから、来週のわたしは休みどころか朝も夜もなく働くんだけれど
それでも、総まとめの心持ちにはなるというか、
今年はこれで、と区切りをつけたくはなるから不思議だ

あのときだからあんなことができた、と
もしかしたら後々思うのかもしれない
仕事漬けの年末年始


きょう最後のお客さんのレジを打っていたら、
Emilíana Torriniの、Sunny Roadが流れてきた
わたしの様々な土地での記憶を一本の線のように繋ぐ、
この世でいちばん好きな歌のひとつ

ひとりになって、締め作業を終わらせてから
音量を上げて、もういちど聴いた
何千回聴いたかわからないこの曲なのに、
なぜだか、涙が出た

It's time, meet me on the sunny road
来年こそは、きっと、
そんな年になればいい

 

 

今年は、とにかく
ひとことで言うと、状況のよくない一年だった
自分のことでも、他人のことでも、心を痛めて過ごし
仕事では、小さな仕入れひとつさえも重たかった

その一方で、去年もそうだったように、
そのときどきでじっと真剣に考え抜いて
軸をぶれさせることなく選択ができた一年でもあった
それは、店としては運よく結果に表れてくれたと思う
結果を得ることがいかに難しいかをずっと体感しているだけに
わたしにとっては大きなこと

自分で言うのもなんだけれど
まあ、とにもかくにも強く生きました
よくがんばっているよ、2020年からずっとね


逆風だなんだと言うものの
コロナが始まったときには吹けば飛ぶようだったわたしの店は
いまは、しっかりした煉瓦の家のようになった
わたしがこうして変わらずここにいて、
かつ、チャレンジ精神を持っていられるのは
たくさんのお客さんがいてくれるからだ

田辺聖子が教えてくれたのは、世の中に片隅なんてないということだった。どこで働いていようと、仕事場はこの世のすべてを体現している。そこで出会う人々が、小さな「やさしみ」の交換なしでやっていけるだろうか。ほんの一瞬でも、一度だけすれ違う間柄であっても、それは今も必ずやりとりされていて、ぎりぎりのところに手を添えてお互いの生存を支えていると、私は思っている。
(斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』所収 「「やさしみ」のやりとり」より)

最近すこしずつ読んでいる、斎藤真理子さんのエッセイに
ちょうど出てきた話
年の瀬に読むと、さらにぐっとくる

この一年、店を開けていた日には毎日、
「やさしみ」を感じる一瞬があった
ひとりで働く仕事場で、
わたしの店そのものであってくれるお客さんたちに
本当に感謝している

 

今年は、色んなことを書けたような気も、
ますますなにも書けなくなったような気もしていて
それでも、こうしてごく個人的なスケッチが
文字という形で残っていくことを
わたしは好もしく思っている
文章にするならば、残しておくことは選べるからだ

そして、もしかしたら
わたしは、この日記を読んでいる誰かと、
遠い場所にいながら、なんとなく並走できているのかもしれない
多くの方から声をかけていただくにつれて
そんな風にも思うようになった

だけど、やっぱり、ここに書く文章は
誰へも、どこへも、向かわないようにはしていたいな
なんでもないことを、なんでもないままに
これからも、ただの日記を書いていけたらいい


読んでくださっている皆さま
今年もありがとうございました

そう言ったって、数日後なんだけれど
来年、また会いましょう