緑の絵具で勢いよく描いたような銀杏と、
海の絵に落ちる夕方の光

大きな北向きの窓と、通りの銀杏の木は
わたしの仕事場がある雑居ビルの、何よりの自慢だ
最初に見に来たのは7年前の1月で、
部屋はスケルトンで瓦礫の山、なにもなかったけれど
驚くほどに明るくて、光が美しい、と思った

窓のそとの銀杏が、春から秋までずっと鮮やかなことは
子どもだった頃から知っている
その日のうちに、入居することを決めた
これは、わたしがこれまでの人生で、
いちばん自分を褒めたい決断のひとつ

今これを逃さずにつかまえるべきだ、というような日が
ときどき、あるような気がしている
それからの未来をつくる日


去年から、事務所を借りてはいるけれど
わたしの店は、どう考えてももう手狭
ものがぎゅうぎゅう詰めで、わたしのデスクまで在庫でいっぱいだし
そもそも、誰も雇わずにひとりで経営しているなんて、と
いい加減心配されるような規模になっている

だけど、宝箱をひっくり返したみたいと言ってもらえる、
自分の小さな店をどこよりも愛している
売上のことだけを考えたら、実店舗は大きなところに移転するか、
むしろ閉じてオンラインに集中することを考えてもいいけれど
それでも、わたしはここにいたい

それは、自分の店ばかりじゃなくて、
入居する人たちが、付かず離れず、ゆるくつながっているような
この場所が、とても好きだからだ


こんな思いをするならもうなにもかもやめたい、というとき
足音や水音を聴いたり、誰かの顔を見たり、ちょっと雑談したり
わたしはそうやって、自分の内と外の均衡を保っている

わたしも、このビルの空間の一部になれたらいい
直接誰かの役に立てる可能性もあるけれど、
まずは、心地よいざわめきになれたら

と、きのうあらためて思ったんだよ
つまり、誰かが悲しいときには、
和らげるなにかになりたいってことなんだけど

 

 

最近よく聴いている、Charlie Cunninghamのこの曲
ちょうど、仕事と個人の中間の場所にあるなあと、迷って、
結局仕事場のライブラリにも入れることにした

いつも、越えてしまわないように、一線を探している
内と外の境界


自分を守る、ということの大切さが
ただただ身にしみるこの頃

わたしにとっては、音楽も、このビルも、
きっと自分を包んでくれる膜のひとつなんだろうな、と
ぼんやりと思ったりする