抜けるような青空と、夏のような陽気
まだ花が咲いている川辺を、上を向いて歩く

明るい黄色の体をしたメジロが、囀りながら
ひょいひょいと桜の小枝を渡っていった
ブルーグレイの嘴はスズガモだろうか、
流れに逆らわず、揃ってゆったりと川の水にのっている

遠い空と、光が跳ねる水面
鳥たちの世界は、いつもグラデーションの中にあって
眺めることしかできないからこそ眩しい

 

きょうの分の事務作業を終え、カフェへ
半分の時間は、スウェーデン語で本を読み、
のこり半分は日本語で、読んだり、書いたり

今週から、月に一度のスウェーデン語の授業を再開した
といっても、先生と楽しく雑談したり、
本のわからなかったところを訊くくらいなのだけれど
それでも、ずっと続けてきた読書とポッドキャストに、
腰を据えて勉強する時間を加えるモチベーションにはなる

4年ぶりに会った先生は、変わらずほがらかな人で
ずっと早口で手を緩めない感じも、心地よかった
聞き取れない部分がもしあれば質問すればいいだけなので、
これくらいの気楽さとスピード感がちょうどいい


出会った頃には、京都に住んで5年ほどだと話していた先生も
もう、日本に来て10年になる
僕もスウェーデン語ほとんど喋ってなくて、忘れてそうだから、
辞書を横に置いておかなくちゃ、と言うので笑った
実際、わたしがわからないことは彼もわからなかったりもするけれど
調べて、わたしが納得できるまで、言葉を尽くして付き合ってくれる
いい先生だと、思う

彼は、この4年のあいだに転職して、
シフト制ではなくなり、以前のように平日には会えなくなったし
市内のちょっと離れた場所にある一軒家に引っ越した
それでも、授業を再開したいと相談したら、
快く、大丈夫、また行くよと言ってくれた

コロナの時間を超えて
こうしてまた会えるだけでもうれしいのだ、本当は

 

英語もそうだけれど、スウェーデン語も、
わたしにとってはもう日常に溶け込んでいる言語だ
毎日のようにニュースを聴き、本やオンラインの記事を読み、
取引先や友人へのメールを書く
何年もそれがあたりまえなので、
日本語の世界との継ぎ目はほとんどない

それでも、スピーキングは今年の頭にスウェーデンで、
仕事でというよりも、友人と話しているときに
ブランクを経て、自分の言葉に厚みがなくなったと感じた
つい同じ単語、同じ構文を使ってしまうことにがっかりしたし
自由なプライベートでこそ、反射的に使える語彙の大きさが
ほんとうに会話に直結するのだと気がついて愕然とした


だから、それをまあいいやと放っておきたくないし
自分を過信しないでちゃんと地道に積み上げたい
そのために時間をかけたいと思う

日本語でももちろんそうだけれど、
豊かな言葉が信頼を生むと信じるなら
いつでも、いつからでも、できることがある

効率はよくないかもしれなくても、
一歩一歩、そして長くつづけたい