金木犀の季節

今年は、たしか先々週のある日から
いっせいに金木犀が香りだした
それから数日は空気そのものが匂い立って、
いつもの道が塗り変わったようだった


なにを着たらいいかわからないとぼやきながら、
薄く軽やかな秋色のブラウスで歩く
まだまだ生温い風が、わたしを追い抜いて
半端に黄色くなった木の葉を落としていく

爽やかさを探して吸い込む
子どもだった頃とはずいぶん違う、秋

 

ユリイカの臨時増刊号が、トールキンの特集で
この数日、時間を作ってはすこしずつ読んでいる

わたしにとって、トールキンは、
イギリスの大学時代、強く影響を受けた作家のひとりで
もっとも長い時間、作品と向き合った作家のひとりでもある
Vikings and Valkyries in Contemporary Culture という授業が出会いで
まず、学期が始まる前に指輪物語をすべて読まなければならず
映画も原作もほぼ知らなかったわたしは最初から苦闘することになった

ただ、その授業が多面的でとても楽しかったために、
結局卒論はそちらの方面に行ったし
なにより、なぜこんな風に物語に没入できるのか、
トールキンはなぜ特別なのか、と、文学の授業もあわせてずいぶん考えた
そういう意味で、巨人としてのトールキンの存在は、
わたしの大学生活に大きなものを残したと言えるのかもしれない


膨大な要素を継ぎ合わせ、無限の想像力で膨らませて、
広い広い世界を緻密に構築したトールキン
物語のなかで読者が生きられるように感じるのは、
彼が作り上げたのが、日々とは別の階層の、
独立したひとつの次元だからなのではと思う

ユリイカの、『トールキンに/から伸びる「道」』という鼎談の中には
トールキンから大きな影響を受けたル=グウィン
フィクション理論の話もちらりと出てくる
わたし自身、トールキンル=グウィンも愛してやまないのは、
まさに“既存の世界に従属しない”と感じられるところにあるのだなあと
逆卷しとね氏の言葉が、とてもしっくりきた

戦争の物語では生き残ったものが敵/味方の世界を引き継ぐわけですが、そうすると世界のあり方に変容は起きず、敵/味方の内実を変えながら戦争は続いていきます。これに対し、物語をつくる者が携えた手提げ袋の中では、旅の過程で出会ったものどうしが創発を起こして世界が生成していく。そうすると世界は、わたしたちを外から規定し続ける監獄から、全貌が見えないなかで手探りの物語実践とともにつくられる関係の網の目に変わります。(86ページ)

新しい世界のなかで旅をした経験を
その美しさを、忘れることはない
そして、その経験は、いまここにいる自分にも生きるはずだ

 

イギリスにいる、エルフ語を使いこなす友人に、
日本でこんな本が出たよとメッセージを送る
大学のフィンランド語クラスで仲よくなった彼は、
高校時代、トールキンに傾倒するなかで、
カレワラとフィンランド語に興味を持ち、フィンランドを専攻したと言っていた

彼はわたしと出会った頃、すでにフィンランド語をマスターしかけていたけれど
その後、いくつもの言語を習得するだけでなく、
独自の言語を自分で作ってしまった
言葉を通じて、彼自身のファンタジー世界を構築するその胆力には
ただただ、感服する
わたしのように物語を享受するだけでなく、
ここまでできる人がいるのだ

自分のファンタジーを作るには、
言語がいちばん現実的で、早かった、と彼は言う
その言葉には、たしかに実感がこもっているとわかるし
言語を学ぶ者の端くれとして、納得もする
いや、わたしには一生かかってもできないことなんだけれどね


今回のユリイカは、多様な文章がぎゅっと詰まっていて
情報量が凄まじいからか、わたし自身の記憶を呼び起こしてくれる
友人のことや大学の授業のこと、言語のこと、
さまざまな土地で見たものや、さまざまな本のこと

ほんとうは、やらなくてはいけないことが山のようにあるから
それを優先させなくてはいけないのかもしれないけれど、
今は、これを読む時間を大事にしたいと思うよ