忙しくなるであろう八月を前に、ひと休み
横浜へ行ってきた

わざわざ三連休に、しかも行き先を横浜にしたのは、
単純に、この時季は東京で働く恋人が忙しいので
カレンダー以上の休みは取れず、遠出も難しいからだった
(そして、いまを逃すとつぎに会うのはもう秋になる)
それと、むかし大学の皆で何度も遊びに行ったので
明るい記憶が重なっている街だから


ひさしぶりの横浜は、
36度という、かつては考えられないほどの暑さで
ふたりでぐだぐだにのびていたけれど
以前はなかったロープウェイではしゃぎ、
いつ以来かわからないゲーセンで無駄遣いをし
彼の希望で小動物を愛で、セールで洋服を増やして
中華街で美味しいものをたくさん食べた

なんということもなくても、
明るい街で、明るく過ごした
欲しかった休日だった


二日目の夕方、ホームで彼を見送ったあと
逆方向の地下鉄に乗り、ひとりで泊まるホテルに戻った
向かいの席に、大学生らしい五人組が座っていて
その思い思いの様子に、ふと、昔のわたしたちを見る

一日が終わってほしくなくて
まっすぐ部屋へ行かずに、夕暮れの山下公園を歩いた
そこにもう、彼と歩いた昼間の強い光はなく
くちなし色が、バラ園や向日葵の咲いた噴水をベールのように覆っていて
全部が儚い幻のように消えてしまいそうだった

ひとりとわかっているひとりと、
わかっていないひとりは、違う
もう、十分すぎるほどに経験してきたのに、
何度でも、刺すような寂しさに動揺してしまう

静けさと身軽さをこれほどに愛しているのに、
いつでもないものねだり

 

そしてきょうは、ひとりで半日を、
東京の、以前暮らしていたあたりで過ごすことに
東急東横線沿いなので、新横浜から電車によっては一本
これも、横浜へ行こうと思った理由のひとつだ

職場があった学芸大学駅
かつて働いていた店も、ランチや深夜に通っていたカフェも
もう、わたしがロンドンへ発った頃にはなくなっている
だから、そこまでの感慨はないと思っていたのだけれど、
よく朝食を買っていた駅前のパン屋さんや
歯が痛くなって仕事のあとに駆け込んだ歯医者さん、
当時はできたばかりだったジャムとお菓子の店など
なつかしく思う場所がいくつもあった

駅までの道を、しょっちゅう泣きながら歩いていた社会人時代、
いま振り返るとなにも知らない生意気な小娘だった自分の
情けなさと無防備さ、そして無尽蔵のエネルギーを思う

若かったころのわたしも
こんな未来があると知ったら、それはもう驚くだろう
なにもかも無駄にはならないよと教えてあげたいな
まあ、どっちにしてもただ必死にやるだろうけれど


四年を経て、さまざまなことが動きだし、
人や場所に出会い直して
かつての自分との距離感をはかっている

そして、店を持ついまだからこそ、
呼び起こされる記憶から得るものもある
上乗せされた時間がプリズムのようになって、はじめて、
新しい光を見るということが、確かにあるのだった


次に来るなら、
マッターホーンが営業している日にしよう
あの店は、きっとなくならないはずだから、
当時のままの気持ちでお菓子を買おう

そんなことを思いながら、
熱風が吹くホームから、懐かしい急行に乗り込んだ
たまには、こんな休日もいい