半分休みの水曜日
事務所へ出かけ、ゆったりデスクワーク

取引先への連絡などをすべて終えて
とりあえず買ってきた缶からマグにコーヒーを移し、
ソファがわりにすることにした寝椅子に座る
そういえばこれ、工芸学校でもよく着ていた服だ、と
作業着が変わらない自分に気づいて、可笑しくなる

わたしには、気分のスイッチが明確にあって
この服は作業スイッチなんだろう、きっと


春から契約したはいいものの
水回りの匂いと、梅雨になって現れた小さな羽虫たち、
そして商品を置いておけないレベルの湿度(80%!)と
実は問題だらけでひたすらに右往左往していた事務所
新たに、除湿機で床が振動する、という問題が発生しているものの
多少は状況が改善して、やっと居心地がよくなってきた

ただ、当初は想像しなかったことだらけでも
この部屋は、しんと静かで
それは、ほかにかえられないことのように思える

集中して、身体を痛めずに、作業ができる場所
まだまだ手を入れなくてはいけないけれど、
きっと、いい事務所になっていくはずだ

 

夕方には本屋へ
わたしは自分の店でも本を販売しているけれど
でも、だからこそ、
本屋を歩いて本を買うことを大切にしている

仕事をいったん忘れて
いま自分はどんなものを読みたいのかと、考える
本そのものからなにかを得るということは、
わたしはつねに期待しないでおきたいと思っているけれど
それはそれとして、どういう感覚で臨みたいのか、と


きょうは、最初はぴったりくる本がなにもない気がしたものの
店内を何周か見ているうちに、落とし所というか、
ここだ、というラインが見つかって
結局三冊を選んだ

ライナー・マリア・リルケ『芸術と人生』(富士川英郎訳)
ラフィク・シャミ『ぼくはただ、物語を書きたかった』(松永美穂訳)
下西風澄『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』
今のわたしにとっては、たぶんいい選択


今、わたしはもっと、
複雑にものごとを考えなくてはいけない

ただ外へと手を広げて、なにかをつかまえた気になるのではなくて
同じところをぐるぐる回っているようでもいいから
色を塗り重ねて絵を描くように、あるいは小さな実験を重ねるようにして
ひとところで深く考える時間が必要


純化して、噛み砕いて、“理解”をしようとする
そういう自分に背を向けて
抱えるようにして本を開きたい

歩きながら本を読んでいた子供の頃の心のままで
救いを求めているというだけのことかもしれないけれど、
今はそれでもいいじゃない、と、思うよ