『わたしは』と、月が言いました。
『前にポンペイの話をしてあげたことがありましたね。あれはいきいきと生きている都市の列のなかにおかれた、都市の死骸です。だがわたしは、もうひとつ別の、もっとめずらしい都市を知っています。それは都市の死骸ではなくて、都市の幽霊です。ーー噴水が大理石の水盤のなかで、ぴちゃぴちゃ音を立てているところではどこでも、この水に浮かんでいる都市のお話を聞いているような気がします。たしかに、ほとばしる水は、その物語をしているにちがいありません。波打ちぎわの波はその歌をうたっているにちがいありません。海のおもてには、しばしば霧がただよっています。それは寡婦のヴェールです。海の花むこは死んだのです。そして、その宮殿と都市とは、いまは霊廟となっているのです。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『絵のない絵本』(大畑末吉訳) 第18夜より

 

一等好きな、第18夜
まぼろしヴェネツィアに思いを馳せる

小さな頃から
そして、長くアンデルセンを研究している教授のもとで学んでから
ほんとうに多くのアンデルセンの作品を読んだけれど
わたしは結局何度でも、『絵のない絵本』に戻ってくる
愛してやまない一冊

去年、この愛蔵版が出てからは
以前にも増して、心を奪われるようになった
詩情のある松村真依子さんの挿絵が、とにかくすばらしい
世界でいちばん美しい、
絵のある『絵のない絵本』だと思う


月の語りは、派手ではなくとも夢のように豊かで、
ほんとうに窓辺で聴いているような気持ちになる
時間や距離を超えて立ち会う、さまざまなシーンには
寂寥感や幸福感がないまぜになって波打つような迫力がある

連作短編、といえばそうなのだけれど
アンデルセン自身が旅で得た血肉を、分けてくれているような
それでいて想像の世界の伝説を聴いているような
生々しさと厳かさが同時に存在している
土地に触れる、そして文化に触れる原点が、
ここにあるような気さえする

はるか遠くを思って、幻想に耽るには、
一冊の本があれば十分なのだと教えてくれた
こういう思い入れのある作品に、新しい形で触れられるのは
ほんとうに幸せなことだ

 

昨日今日は、通販と確定申告の作業と並行して、
店舗に置いている書籍の棚卸を仕上げ
新刊や欠品しているものの発注をしていた

先月、リストを根本から作り変えてより全体が見渡せるようになったので、
これからは、発注漏れも減る気がする
わたしは基本的には、記憶を頼りに膨大な商品を動かしているから
工夫してそれを支えないといけない


リストにつけてあったマーカーをひとつずつはずしながら
本のタイトルを検索して、数を決め、注文する
そのぴりりとした時間が、とても好き

この『絵のない絵本』も、追加発注
推している本は注文しすぎなくらいで丁度いい、と在庫を持ってしまうところは
店のオープン以来ずっと変わっていない


わたしは、本に埋もれるようにして暮らしているけれど、
だから店のこの本棚があって
そして、ここで新しい本に出会ってくれる人たちがいる

そう思うと、こんな生活にも
多少の意味があるのかもしれないね