雨の朝

いつもと変わらない部屋を見渡して
変わらないことに、ほっとする
近ごろは、とにかく夢見が悪く、
さらに悪いことには現実との境界が曖昧なので
夢のなかから戻ってくるのに、何秒かかかってしまう

ポットのスイッチを入れ、お湯が沸く音を聴きながら
まだここではないどこかにいるような身体を
すこしずつ、空気に馴染ませていく

朝の雨は、
塵のような雑念を流してくれる
都合のいい考えだけれど、そんな気がしている

 

雨の日に、決まって思い浮かべるのは
L. S. Lowryの絵画
描き出された、資本主義の原風景の機微に、
複雑な雨の陰影が、重なる

何年も前のことだけれど
Hastings Contemporary、当時のJerwood Galleryまで
ラウリーの展示を見に行ったことがある
その日も天気がよくなかったから、
余計に雨のイメージがあるのかもしれない


ビーチリゾートのヘイスティングスだけれど、
わたしにとっては、ラウリーと雨、泊まっていたB&Bの朝食の街だ
レースカーテンの向こうに霞む街と、細い階段の先にある朝食室
雨の匂いと、ベーコンとパンを焼く匂いが混ざった、
美しい朝の記憶

B&Bの主人は、たまたまスウェーデンの出身だった
イングリッシュ・ブレックファーストの上を飛び交うスウェーデン語は
大学のなかとは違い、たしかに異国のことばで、
当時のわたしはまだ、そのことに高揚感があった

うまく説明できないけれど、あの朝への特別な感情は、
そういう特殊な状態だったから、より増したのかもしれない


また、ヘイスティングスを訪れる日が来るだろうか
わたしは、イースト・サセックスで暮らす人たちが作るものに惹かれがちだから
いつか仕事で、誰かに会いに行くことになるような気がする

このままの思い出の街でありつづけてほしい気持ちもあるけれど、
まったく新しい記憶も作ってみたい
できれば、うんと明るい時季に

 

引き出した欠片の連なりを、そっと浮かべて
ときどき、スケッチのように残してみたりする
いつかきっと泡のように消えるとわかっているから
言葉にしてみたいのだろうと、思う

ちょっと遠くへ行こう
わたしのきょうは、確かにここにあるとしても