まだずいぶん先なんだけれど
仕事の一環で、ちょっと自分のことをお話することになり
たたき台として、いくらか文章を書いてみることにした

やっぱり、ここから、と
ロンドンの大学に入ったばかりのころのファイルを開ける
配られたプリントと書き散らかしたメモ、印刷した論文でパンパンの
北欧文学の授業のファイル


ひとつずつ、紙の束を手にとって見ていると
自分が書いたエッセイ(日本の大学で言うところのレポート)があった
入学して3ヶ月後、秋学期の終わり頃の課題で、
アンデルセンの『人魚姫』とディズニーの映画『リトル・マーメイド』の比較がテーマ

同級生と皆んなで空き教室を借り、
大合唱しながら『リトル・マーメイド』を見たなあ、と
なつかしく、でも昨日のことのように、思い出す
だけどそのキラキラした記憶以上に、わたしを攫ったのは、
教授がそのエッセイにくれていた、講評だった

わたしの論のよい点、そして問題点が
丁寧に取り上げられている総評
末尾には、英語の表現によって内容が曖昧になってしまっていたり、
やや読みにくくなってしまっていることが惜しい、
直したものを添付するので役立ててください、とあり
3000ワードあるエッセイを一言一句読み込み、訂正したものを
まるまるつけてくれていた


文章の書き方や単語の選択から、冠詞のつけ忘れなどのケアレスミスまで
細かく細かく、赤が入ったエッセイに、
当時とはまた違う涙が込み上げる

あの頃は、まだまだ粗が目立つ自分の英語に辟易していて
悔しさと悲しさでぐしゃぐしゃになりながらコメントを読んだけれど
いまになって、教授はこんな風に見守ってくれていたのか、と
やっと本当にわかったような気がした

 

デンマーク出身、もともとアンデルセンが専門の教授は、
わたしにとってのロンドンの恩師だ
つねに文学とはなにかと問いかけ、
詠うように、でもどこまでも正確で切れ味のある言葉で
作品について語り、学生たちの解釈にあたらしい視点を加える
それでいてユーモアを忘れない彼は、
いつだって、教室にいる全員のことを釘付けにした

わたしはその後、上級生になっても教授の講義が受けたくて
文学を、自分の大学生活の中心に据えた
最終学年では、ヘニング・マンケルの初期作品についての長いエッセイを書いて、
初年よりははるかに良い点数をもらったものの
最高評価には届かなくて、心底自分にがっかりしたな
それくらい、彼の授業はわたしにとって特別だった

なんとかついていこうと、必死に教授やまわりの学生たちの話を聞き、
授業外でも、朝も晩も文字を追い、何かを書いていた
そのときは、自分の足りなさにいつも溺れているようで苦しかったけれど
そうして過ごした日々は、紛れもなくわたしの財産だ


ロンドンでの学生生活初年の終わり、教授はわたしに、
きみが今年どれほど勉強したか、わかっているよ、とメールをくれた
イギリスに来たばかりの学生が、言葉を直接扱う文学の授業で
母語ではない言語を使い、英語が母語の学生たちと対等に、
課題図書や論文を読み、議論をして、エッセイを書いた
それがどんなに難しいことだったかよく知っているよ、Well done!と
いつもの明晰な言葉と美しいリズムで、伝えてくれたのだった

何度でも、思い出をなぞる
わたしは、教授とのそのエピソードをずっと胸の真ん中に置いて
これから先も、たくさんのものを読み、
自分なりに言語に、言葉に、向き合っていくんだろう


多くの文学作品を紹介してもらったことも、
読み方そのものを教えてもらったことも
教授の授業はすべて、その後のわたしにとっての羅針盤になったけれど
本当に教わったいちばん大きなものは、
こういう、人への眼差しだったんじゃないだろうか

細やかなコメントで埋まっているエッセイを眺めて
ひさしぶりに教授にメールを書こうと、思った

今もわたしなりに読むことや書くことを続けているよ、
今度仕事で、あなたの授業で出会った本の話をするよ、と伝えたら
もしかして、喜んでくれるかしらね