地元の神社で、イベントをやっていたので
ぶらぶらと、出かける

けれど、なんとなく、
水が合わない、というような気分になり
早々に、退散


いつものコーヒー屋に入り
カフェ・オレと、パウンドケーキを注文する
靴をこっそり緩めて、本を開いた、
その瞬間の安堵は、自分でもちょっと可笑しいくらいだった

誰かとなにかを共有することの、むつかしさは
時折、わたしはそもそも人間に向いていないんじゃないか、と
真剣に悩むほど



最近読んだ、梨木香歩冬虫夏草』のなかに、
戦場と山中の庵の往復を繰り返した、小倉実澄という人物について
主人公の綿貫が、語る場面がある
それを、ふっと、思いだした

繊細と強靭と。いや、その両方が互いを必要とする種類のものだったのかもしれない。それが往還を繰り返させた。凡人は繊細に拘れば強靭が遠ざかり、強靭を貫けば繊細が擦りとられてゆく。そして結局、繊細でもなく強靭でもない、鈍感粗野にして脆弱、という器に成り果てて行くのだ。(146頁)

現代でも、たしかに、
繊細と強靭を両方、信じがたいレベルでそなえた人は居る

対するわたしは、凡人すぎるほどの凡人だと、
卑下するわけでもなく、しみじみ、思う

しかし、凡人なりにせめて中庸を目指したい、というのも
また、人情


わたしは、この本のなかで綿貫が出会ったような
ひとの形をした岩魚でも、河童でもないからなあ、と
どうしようもないことを考えて、すこし、笑った