夕方、流れついたカフェで
しばらく、作業

ときどき、手を止めて
窓のそとを眺める
水たまりの表面を、ぱちぱち弾く雨
紋が浮かんでは、消えていった


静寂を破って
近所に住んでいるらしい、女性ふたりがやってくる
大きな声で次から次へと出てくる、愚痴と陰口に
すっかり気持ちが塞いでしまう

ただちょっと居合わせただけなのだから
気にしなければいいのは、わかっている
だけど、帰ってきてから
こういうことは、一度や二度ではなくて
その事実がまた、辛い



作業をいったん止めて、本に没頭することにした
梨木香歩冬虫夏草
主人公は綿貫征四郎、『家守綺譚』の続編だ

10年ぶりの『家守綺譚』の世界は
変わらず、清澄で、うつくしい
ひっそりとした日々と、そこで起こる些細な出来事に
綿貫は、過剰な起伏を持たせず、
親しみを込めて、寄り添う

『家守綺譚』が、そうだったように
これもエッセイ、あるいは日記を読んでいるような気分になる本だ
全部が、百年前に本当に起こっていたことのようで
だから、例えるなら、夕陽が沈んでいくところを眺めるような
失われゆくものを愛おしむ、儚いさみしさが残る


梨木香歩は、10年以上も前に好きだった作家で
2006年ごろまでに文庫化された作品は、すべて読んでいる
けれど、この10年で読んだものは、わずか3作
どうして、離れてしまったのだったか
今となっては、もう覚えていない

2012年に初めて読んだ、『村田エフェンディ滞土録』
それから『家守綺譚』を、これだけ愛しているのだから
きっと、ほかにも好きな作品があるはずだ、と
探す愉しみを、あらためて思った

時間の流れとともに、読むものは変わっていく
だけど、こんな風に大切にしつづけたり
何度も戻ってくる、というものも、当然ある



またひとりになって、しんとしたカフェ
硝子のむこう、白い雨のつづく先に、
綿貫の暮らす、百年前の山中を見る

はるか遠くとも、思わないから
雨は、不思議だ



冬虫夏草

冬虫夏草