お盆休みウィーク
積み上がるデスクワークと雑事を片づけようと意気込むも、
増える速度のほうがはるかに早くてどうにもならず、さらに積み上がる

きょう一日をまるまるパソコンの前で過ごし、
お問合せなどお客さんに関わる部分は、なんとかかんとか追いついた
明日からは梱包作業もあるので、休むというわけにはいかないけれど
心持ちとしては、一息


どんどんものが届き、物理的な片づけも追いつかなくて
バタバタと、いつもより少し多くのお客さんを迎えた三日間だった
昨日は台風とコロナで、もともとのご予約のうち半分の方がキャンセルになったり
本当にまあ、いろいろなことがあったけれど、
この時季らしく、ひさしぶりに会えたお客さんもいたりして嬉しかったな

気持ちを、重さのように量れるのだとしたら、
店の仕事はいつも、しんどさよりも、楽しさに傾いている
だから続けていけるのだと、五年が経った今思うのだ

 

 

アリ・スミス『夏』に
このひと月とらわれている
ほかを読んでも、頭の隅にずっとこの本がある感じ

あまりにも読み直したいところが多いので、
ついに原書に帰ってきてしまって、また最初から読んでいる
これが終われば、今度は日本語に戻るんじゃないかしら

最初に読んだときもそう感じたけれど
『秋』『冬』『春』と読んできた、ご褒美のような一冊
視線も言葉も鋭く、底に流れるものが現実的だからこそ、
美しいと言える群像劇だと、思う

 

そして、本筋からはちょっと外れるけれど
あるエピソード中の夏の描写が、狂おしいほどに好きだ

“夏という季節はちょうどこんな一本道を、
光と闇の両方に向かって歩くのに似ている” (295頁)

イギリスとスウェーデンで暮らしてから
概念としての“夏”に、憧れを持つようになった
けれど、いつも夏は掴みどころがなく、
けむりのように消えてしまって
それでいてわたしを攫わず、行き場を失わせる

そうして途方に暮れるわたしに、
アリ・スミスは、手を差し伸べてくれたような気さえする

 


今彼女を囲んでいる夏でさえ存在していない。今世紀最高の夏らしいけれども。文字通り、本物の完璧な夏の午後にこれほど元型的で美しい道を歩いていたとしても。
私たちは実際に完璧な夏の最中で、既にその喪に服している。
夏のはかなさを思いつつ夏の道を歩く姿を見てほしい。
私たちは夏まっただ中にいるときでさえ、その本質を手に入れることができない。
アリ・スミス(木原善彦訳)『夏』 297頁より

 

まだ続く、あまりに暑すぎるこの夏を
この一節とともに