いつものカフェで偶然出会った、熊井明子のエッセイに
ふっと、トルーマン・カポーティの逸話が出てきた
パリで、コレットの部屋を訪ねたカポーティは
彼女のペーパーウェイトのコレクションに釘づけになった
気づいたコレットは彼に、白バラが沈んだ美しいひとつを贈り、
その瞬間から、カポーティはペーパーウェイトのコレクターになって
旅先にもいつも、とくに大切な6つを持っていっていた
要約すると、こういう話
そういえば、この話を知っている、と
手持ちの『ローカル・カラー/観察記録』を探して、開ける
“白バラ”という一篇が、たしかにこのエピソードだった
1970年に、23年前、1947年のことを回想して書かれたものだ
熊井明子の目を通し、そしてあらためて読むと、
偏愛と、憧れと、蒐集のよろこびが詰まっている
匂いたつような文章だ、と、思う
とうとうマダム・コレットは言った、「どうやら私の雪に興味がおありのようね?」
そう、私は彼女の言うことがわかった。その品物は万年雪、永久に凍りついたまばゆい模様であった。
「バラとオレンジとライムとじゃこうのまざりあった香り」が
「霧のように、かすみのように」ただよう部屋
緑の葉をつけた小さな白いバラが一輪沈んだ、19世紀半ばのペーパーウェイトを、
「スーヴニールとして」と言って贈ったコレットは
一篇を通してどこまでも粋で、美しい
ときどき私は文鎮をある特別な友人に贈物として与えてしまうことがある、それも必ず私がひじょうに珍重しているものを。コレットも、あの遠い日の午後、私がそんなに大事になさっている品を贈物としていただくわけにはいかないとことわったとき、こう言ったのであった、「ねえ、あなた、自分でも大事にしているものでなければ、贈物としてさしあげたってしようがないでしょう」
どんな風にして出会ったか、という記憶は、
そのものとの時間をずっと、ドラマチックなベールで柔らかく包んでくれる
すくなくとも、わたしにとってはそう
この一篇のあとには、あまりにも小さな話なんだけれど
わたしも、ペーパーウェイトを持っている
ガラスではなくポリエステル樹脂に閉じ込められた、タンポポの綿毛
ロンドンの大学で最終学年だったときに、キュー・ガーデンで買ったものだ
年パスを持つくらい、キュー・ガーデンに通っていた頃
ずっと、ショップに置いてあったこのペーパーウェイトに憧れていた
だけど、結構いいお値段なのでなかなか手が出せなくて、
四年目にしてやっと決意して買った、という、本当にちゃちなエピソード
それでも、わたしはやっぱり、
これを手にしたときの重みやうれしさを忘れられない
あの植物園やロンドンの部屋、
いまにつづく当時のあれこれを思う、大切なもの
そして、実は、その後わたしは
同じメーカーのペーパーウェイトをもうひとつ買っている
そちらは、帰国してこの仕事を始めてから、コロンビア・ロードの好きな文具店で、
よし、デスクに置こう、と思って手に入れた
それはそれで、些細なんだけれど、
歩きつづけた末に新しい場所をつくった自分を感じられて、嬉しかった
自分のペーパーウェイトを眺め、
万年雪、と、何度も繰り返す
なんて美しい表現なんだろう
そう思うと、自分の時間も層にして、
一緒に閉じ込めたようだ
わたしには、もちろん、コレットはいないけれど
過去の自分がいて
そして、ふたつのペーパーウェイトが、いま手もとにある
たったそれだけのことを、
きょうは、なんだか特別に思える