f:id:lumi31:20210812022218j:plain

 

ペール・ペッテルソン『馬を盗みに』
パヴェーゼヤンソンと並び、この季節になると読みたくなる本で
この頃、原書もあわせて、またすこしずつ読み直していた

原題はノルウェー語で、Ut og stjæle hester
老境にさしかかる主人公が孤独を抱えて移住した土地での、冬のことと
スウェーデン国境に近い村で過ごした少年時代、1948年の夏の日の思い出が
淡々と、交互に語られる

少年の身に降りかかる出来事は、あまりに重たく
それでも、繊細な風景の描写が徹底して美しい

“痛いかどうかを決めるのは、確かにぼくら自身なのだ”
最後のその言葉が、ずしりと胸に残る

 

わたしが居たのは、スウェーデン中部だから
一緒くたにするのもどうかとは思うのだけれど
(実際、第二次世界大戦にまつわる複雑な背景があり、
この物語ではスウェーデンは明確に“異国”という位置づけだ)
森のなかで過ごした日々を、どうにも思い出してしまう

夏の残虐性のある陽射しのこと
木の上にひっそりとすわる鳥の巣のこと
馬にいまにも飛び乗れそうな放牧場のことを
わたしは、たしかに知っている

遠い駅までの道を
いつも、倒れた木を乗り越えたりしながら歩いていた
近所の人が放している馬を撫で、
かすかに聴こえる水音を探し、足もとの朽ちた葉の匂いを吸い込み
ほとんど電車の来ない線路を、跨いで越える

当時のわたしにも、わたしなりに抱えているものがあった
それでも、というか、だからこそ、というべきか
重なり合う葉のあいだから落ちてきらめく陽のなかで過ごした、
一瞬一瞬が、焼きつけられたように残っている

あの一年の根は
どれほど深くまで張っているだろう

 

そんな今、あの時代を振り返っていると、あの風景の中で起こった一つ一つの動きが、いちいちそのあとで起こった出来事の投げかける色に染められていて、切り離すことはできないのだとしみじみ思う。過去とは異国であり、そこでは何もかもが違っているという言葉があるが、わたしは人生の大半をそんなふうに感じながら生きてきたような気がする。そうせざるをえなかったからそうしてきたのだ。だが今は違う。心を集中しさえすれば、今は記憶の店に足を踏み入れ、正しい棚の正しいフィルムを手に取ってその中に姿を消し、父とともに馬に乗って森を行ったあのときの感覚をこの体のうちに感じることができる。(229-230ページ) 

 

過ぎ去った夏を求めている
わたしも、そうなのかもしれない

 

 

この小説、2019年にノルウェーで映像作品になっていたようで
原題で検索したら予告編が出てきて驚いた

本の印象より、さらに重たい雰囲気になっているけれど
やっぱり、見てみたいと思う