すなわち、真なる言説が確かに、ギリシア人以来、もはや欲望に応える言説でも権力を行使する言説でもないとしても、真理への意志のなかで、真なる言説を語ろうとする意志のなかで作用しているのは何かと言えば、それは欲望と権力以外の何ものでもないということです。自らの形式の必然性によって欲望から解放され権力から自由となる真なる言説は、自身を貫く真理への意志を認めることができません。はるか以前から我々に課されてきた真理への意志は、自身が欲する真理によって覆い隠されざるをえないようなものなのです。(ミシェル・フーコー『言説の領界』 26-27頁)

「君は、どうしてこんな時間にこの店で、
トーストを食べながらフーコーを読んでるの」
「理由が必要だとは思わないけれど、
なにか答えるとすれば、押し寄せる主張と価値観に疲れてるからよ」

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スウェーデン語の先生と会える、木曜日を
毎週、ほんとうに、楽しみにしている
いま精読している本について、わからないところを聞く以外は
友だち同士のように、えんえん喋りつづけるだけなのだけれど

自身にとっての第三言語、それも、母語とは大きく違う言語を
懸命に大切にしているわたし達は、
考えかたも、喜びや苦しみにも、共通しているところが多くある
そのことで、こんなに気持ちがらくになるなんて
彼女に会うまで、想像していなかった


きょうの時間を終えて、連れだってカフェを出ようとしたとき
隣に座っていたおじさんに、今のは何語なの?と、訊かれた
口を揃えて、スウェーデン語ですと答えたあと、
先生は、おもしろい、初めて訊かれたわ、とくすくす笑った

初めて?わたしは京都でもロンドンでも時々訊かれたよ、と言うと
初めてよ、だって海外でこんなにスウェーデン語を喋ったのが初めてだもの、と
彼女はしみじみと答えてくれて
それだけのことが、なんだか、とてもうれしかった


わたしがもらっているものと、似たようなものでなくても
わたしも彼女に、報酬以外のなにかをあげられたらいいな、
話をすることを、楽しみにしてもらえていたらいいな、と
あらためて、思った