この20年ほどを振り返ってみても
これほど日記を書けない月はなかったんじゃないか
そういう11月

もう、どこから書きはじめればという感じだけれど
ときどき本当に朝と夜が曖昧になるくらいに、働いている
なぜこんなに仕事があるのかと自分でも不思議に思うものの
事実としてあるものはあるのだから仕方がない


そして、ひと段落したのかというと、
実は、まだ、ぜんぜん終わっていなかったりする
淡い意識のなか、日常から振り落とされないようにしがみついて、
このまま師走に突っ込んでいく

それでもまだ、気力があることに驚くし
もはや、人のかたちを保っているだけで自信が湧いてきている
こんな風に在ることもできるのだな、わたしも

 

今月前半の連休には、
この状況下で、なんと、北海道へ行っていた
恋人の社員旅行先が北海道で、それに加えて仕事場が改装工事のため
ほかの社員さんと合流する前の3日間、休みが取れそうだったからで
これほど忙しくなるとは思わず、9月のうちに決めていた旅行だった

とにかく新千歳まで来てくれれば、という言葉の通り
彼は車を借りて迎えに現れ、いろいろなところへ連れていってくれた
途中、相当な雪に見舞われた日もあって、
行くことを諦めたところもたくさんあったけれど
それこそ20年ぶりの北海道は、目に映るすべてが新鮮で
食べるものすべてがとにかく美味しかった

 

 

北海道の道は、まっすぐで
夜に走っていると、信号よりも鹿のほうが多かった
地図上では近く見える距離が100キロ
白樺の木も相まって、スウェーデンで暮らしていた頃を思い出した

 

 

雪で遠出ドライブを諦めた日は、小樽でゆっくり過ごした
ゆるい水族館やニッチな美術館、美味しいケーキ
最高だったから、かえって良かったかも

 

 

意外と心に残っているのがエスコンフィールド
夜7時の巨大な空間は、がらんとしていて
敷地内の回転寿司屋さんも、とても静かだった
だれもいない野球場の観客席なんて、はるか昔のバイト以来だ
きっと一生なつかしく思い出すと思う

それにしても、試合をしていない夜に、それでも開けておいてくれる
エスコンフィールドの懐の深さは本当にすごい

 

旅のあいだの一瞬一瞬は、
今になってみると、コマ送りの映像作品のように感じる
わたしではない誰かが、わたしの眼で撮った、美しい心象風景
けっこうなんていうか、地に足がついた、ゆったりした旅だったのに
その3日半だけが、あまりにも別世界で、
いまは、とても遠いところにあるように思ってしまうのだった

だけど、これから、
すこしずつ、記憶を手もとに手繰り寄せていくのかもしれない
こんなに忙しくしていたことがないから、わからないけれど、
普段の旅みたいに、傍に思い出を置くことができる日が
これからしばらくしたら、来るのかも


と、大げさなことを言いながら、仕事に次ぐ仕事のわたし
とくに明日は相当頑張らないと、明後日がやってこない

この連休は、実は、
かつてよく会っていた人たちとの、出会い直しが多くあった数日だった
よれよれになっていたけれど、おかげで元気をもらえたかもしれない

息を吐ける日まで、わたしなりに走りつづける
なんということもないけれど、
ともあれ、自分自身でいられるように

 

 

開梱と商品の整理、クリスマス商品の撮影で
朝から、行ったり来たり

ほの暗くなって、針のような雨が降っては、
また明るくなり、強い陽が差し込む
店の前の休憩スペースで、撮影をしていると
中庭からの光が、日時計のように変わっていく

窓側が青く、中庭を経て差す陽はオレンジになっている写真を見て
これはだめかも、と、苦笑する
光が差すと、空間が洗われたような気持ちになるのだけど、
ファインダーを通すと、また違うのだった


いったんお昼を食べに出て
また降りだした雨のなか、すこしの間、バラ園を散歩する
今年の見ごろは11月10日頃です、という看板を目にして
いつもそれくらいだっけ、とひとりごと
毎年、この時季は慌ただしくて、正直あまり覚えていない

それでも、バラを完全には逃さずに済んだことが、嬉しい
季節感の薄れた日々に、記憶の断片が戻り
多くのことを諦めた、わたしの秋にも、
ようやくすこし、光が見えはじめている

 

先週の時点では、12箱を積んでいたクリスマス商品も
やっと、残り3箱まで検品を終えた
アドベントカレンダーグリーティングカード、オーナメント
このふた月の頑張りが、きらめくものに変わっていることに
店をはじめてずいぶん経つのに、新鮮に感動をおぼえる

今年は、新しい取引先がふたつ増えた
そのうち一社は、年初、寒空のプラハで商談をはじめたところ
クリスマスカードを待っていたからなのだけど、
やっと実物が店にあって、ほっとする


子どもの頃、家に、母が集めたのだろう
ヨーロッパの紙ものがたくさん入っている引き出しがあった
その中には、クリスマスカードももちろん含まれていて
こっくりした赤や緑の柄に、金色のエンボス加工が施されたカードたちは
遠い世界からやってきた、憧れのかたちのようだった

今回入ってきたものは、そのイメージにとくに近くて
不思議と、なつかしさを感じる
記憶よりも深いところで、静かに呼吸しているなにか
それは、わたしの仕事の核心にふれる感覚でもある

クリスマスを本当には知らない子どもだったわたしが、
大人になって、留学や仕事の旅で、そして多くの本のなかで、
どれだけ景色を塗り重ねていっても
ふんわりとした曖昧な憧れを、まだ持ちつづけているというのは
純粋な感情なだけにすこし気恥ずかしいけれど
大切に残したいものを選んできた結果だ、という気もしている


どの文脈を重く扱うのか、ということは
店を営むうえで、いつだっていちばん大きな問題だ
けれど、だからこそ、論理よりもこういう心の声に
従いたくなったりするのだろうな、きっと

ともあれ、今年は例年以上にクリスマス商品が溢れる店
すこしでも多くの人の気持ちを華やかにできたらいいな、と、思う

 

出張から戻って以来、休みらしい休みがなかったけれど
先週は仕事の山を置いておいて、旅へ

多治見に行きたい、という願いを叶えてもらい
郡上、そして名古屋へと、レンタカーで走った
まだまだ巡り足りない感じはしたけれど、
時間が、ようやく自分の手の中に戻ってきたような二日半だった


多治見では、念願のモザイクタイルミュージアムへ行き、
いろいろな店を回って、いつになく買い物を楽しんだ
カフェでスパイスだらけのチャイを飲みながら、
欲しかった休みだ、と思うと、涙が出てきて驚いた
ひと月のあいだ、気を張っていたんだな

モンブランを食べるため、予約を待っている間には
大きなバラ園に連れていってもらった
近所で花を見ることもままならなかったこの頃
調べてくれたそのやさしさが、なにより有難かった

月曜までは世間も連休だったのに、宿を探したのが遅く
彼が見つけてきたのは、オフシーズンのスキー場
郡上からかなり北へ上ったところで、
車の気配も、人の灯りもほとんどない場所だった
出発前に彼が、こういうところだし星がきれいかもよ、と言っていて
そうかもね、なんて笑っていたけれど
本当に、ただ静かで、星がひたすらに明るかった

 

恋人とは、年に何度か、こうして旅に出る
いまは離れて暮らしているので、どこかで待ち合わせて
知らない街を歩いたり、美味しいものを食べたり
食事と乗り物が好きな彼と、海や花や工芸品が好きなわたしは
見ているものが同じような違うような感じだけれど、
互いの好きなものをゆったりと大事にしながら
ささやかな時間を過ごしている

二泊三日のあいだ、食べたものは
サービスエリアの追い味噌ができるラーメンも
栗きんとんで有名なお店の、拳より大きなモンブラン
生まれてはじめて食べたひつまぶしも
大好きなボンボンで選んだミルクレープも
とてもとても美味しかった
大抵のことはひとりが身軽でいいと思うわたしだけれど、
ごはんとおやつは、ふたりのほうが美味しい

我ながら、わざわざ子どもじみたことを書いていると思うけれど
こういうことこそ、結局、
わざわざ言葉にして残しておくほうがいい、という気がする


実は、来月にも一緒に旅をする予定がある
そのあとは互いに忙しくなるけれど、
なんとかかんとか、やっていくしかない

まずは、旅のための隙間を作れるように
目の前の仕事を、頑張らないといけないね

 

毎夜、簡単な日記を書くために使っている
FaberのPoetry Diary
今週の詩に、眼を奪われる

何度も、なぞるように読んで、
ざわざわした気持ちを、宙に浮かべるように
文字を、つぶやいて音にする

ルパート・ブルックという詩人が
1913年にサモアで書いたもの
タイトルと最後にあるFafaïaは、
どこの言葉なのか、造語なのか
調べてもわからない

美しい韻にかたどられた、
切実で、痛烈な詩

 

Fafaïa

Stars that seem so close and bright,
Watched by lovers through the night,
Swim in emptiness, men say,
Many a mile and year away.

And yonder star that burns so white,
May have died to dust and night
Ten, maybe, or fifteen year,
Before it shines upon my dear.

Oh! often among men below,
Heart cries out to heart, I know,
And one is dust a many years,
Child, before the other hears.

Heart from heart is all as far,
Fafaïa, as star from star.

Saanapu, November 1913

 

サモアの小さな村の名前
わたしはまだ知らない、
南太平洋の波の音と、広がる夜空を想像する

海を眺めて、詩人は
遠い祖国にいるだれかを思っていたのか、
それとも、近くにいても届かない人を思ったのか


彼はこの後、いまでは賛否の分かれる戦争詩を書き
たった一年半後に、二十七歳で世を去ってしまう
けれど、この詩が生まれたサモアでの日々は、
戦争とは直接関係のない、長い旅の途中だったらしい
そのことを知って、心のどこかでほっとする

社会の苦しみからすこし離れた場所で
綴られた、普遍的な孤独は
まさに星の光のように遠く、澄んでいる

 

この詩に強く惹かれたのは、
突き放すような最後だからだ
それでいて、読みが最初の行へ戻ると、
“でも光は届いている”という余韻が残るから


空虚を漂い、すでに塵と闇に還っているかもしれない星
それでも、愛しい人の上に光を落とす
それは、存在が消えてしまった後でさえ、
誰かのもとに届くかもしれないという希望でもあるけれど
だからといって、心が近づいたことにはならず
なお無情で、どこか幻想のように響く

けれど、やっぱりこれは単純な嘆きではなくて
言葉の底に、淡々とした強さを感じる

温度のない俯瞰の視線と、
消えない事実としての光


救いがあるのかないのか、
そんなことを思うのは野暮だろうか
苦い思いを奥歯で噛み砕く

隣の人の心は、いったい、どれほど遠いのだろう
ほんとうはすべての人が自分から遠いことを、
認めなければいけないのなら
それでも、隣にいたいと願うのはなぜだろう

Heart from heart is all as far,
Fafaïa, as star from star.

 

なにから書いたらいいのか、もうわからないけれど
気がついたら、すっかり、秋

しばらくぶりに、仕事の前におやつを食べに出かけ
いちじくのサンドイッチを、母への持ち帰り用とあわせて注文する
もうそんな季節か、10月だものね、と
まるで遠い誰かの物語のように、ぼんやり思う

スマホにメールが届き、
静かなカフェでサンドイッチを食べながら、仕事に戻る
このひと月ほどの記憶は、きっと、
霧のように散って消えてしまうだろうなと思いながら


出張から戻ってからというもの
店舗の運営とヴィンテージ品にまつわる仕事に、忙殺されていた
それに加えて、秋冬のオーダーと、冬のイベントのあれこれ
壮大なやりくりを考え、商品ラインナップをあらためてチェックして、
各取引先と細かく連絡を取り、支払い発送もろもろを手配する
考えることが多すぎて、常にスイッチが入った状態だった

そのうえ、母がちょうどわたしの帰国直前に足を悪くしてしまい
手伝いや買い物など、日中にやることも一気に増えたので
時間がまったく足りず、お風呂でも夜中にも仕事をすることに
慢性的に睡眠不足なのだけど、解決する術もなく、
メールの数に慄きながら、とにかく端からリマインダー
なにかが抜け落ちてしまうことだけを恐れている


だけど、まったく気を抜くことができないでいるうちに
これは、いっそずっと気を抜かないほうがいいのかもと思いはじめた
そうすれば、思考の輪郭を崩すことなく過ごせる

自分自身に対して、自分が経営する店に対して
わたしがなにを願っているのかということだけは
どれだけ忙しくても問い直していたいな、と、思ったり

 

開けている日にはかならず、お客さんが来てくれる
楽しそうにしてくれたり、それを言葉にしてくれたり、
ご自身の人生の節目のものや、誰かへの大切なものを選んでくれたり
ここへ来ることが日々の活力なのだと言ってくれたりする
全部、ほんとうに何もかも、当たり前のことではない

だから、そんな方々と、自分のために
いつ訪れてもとびきり楽しいものと、変わらない人間がいる、
穏やかな店でありつづけたい
洪水のように商品があふれる店内で、たくさんの方が口にしてくれる、
“全部かわいい!”を、大事にしたい


そんなことを考えながら、なんとかかんとか、
繋いでいく毎日

すこしでも、もっと、よいものを見せたいよ
ただ、そう思っている

 

ロンドン、そしてイギリス各地での買い付けで
目の前だけを見て過ごす日々

ロンドンで丸一日動く日は、たいてい三件の約束が入り
そのうえ今週は四日、電車に揺られて遠くの町へ出かけていく
今年は、展示会の時期が後ろにずれて
結果、いつもよりイギリス滞在が長くなったのだけど
それでもやっぱり、とにかく慌ただしい


そんな中、きのうはオックスフォードへ
懇意にしているディーラーさんが、仲間の方を紹介してくれたからで
仕事で訪れるのは、はじめてのことだった
夕方以降の予定は入れず、朝早くに出発し、帰りも遅い電車にして
6年ぶりの大好きな町を、楽しんだ

放牧されている馬を横目にメドウを歩き、
本屋Blackwell’sでアーミティッジの詩集を買った
偶然見つけた店で、ラドクリフカメラの柄の素敵なノートを手に入れたし
大学の自然史博物館にも寄ることができた

長いあいだ訪れることができなかったそのぶんだけ、
オックスフォードの風景は、目にあたらしく、美しかった
木漏れ日が揺れている、変わらないはずの道を、
まるで初めて歩くように確かめながら、ゆっくりと辿った

 

オックスフォードは、わたしにとって“はじめての海外”
日本の大学時代、3週間の語学研修だった

まだほとんど英語が話せなかったころ
子どもっぽい憧れと好奇心を受けとめて、あたたかい思い出をくれた町
あの明るい時間があったから、わたしは、
その後、イギリスの大学にあらためて入学しようなどと
大それた希望を抱けたのだと思う

とはいえ当時は、もちろんこの国でも大学を出るとは思わなかったし
日本にいても日々英語を使う生活をすることになるとも
曲がりなりにも、こうして仕事で来ることになるとも思わなかった
人生って本当に予想がつかないな、と
自分の舵取りで無理やりこうしたんだよな、が、半々


ラドクリフ・カメラの前を通ったとき
楽しそうに日本語で話す、若い人たちとすれ違った
首から下げていたカードには、わたしも研修を受けたカレッジのロゴ
もしかしたら後輩かも、9月だから違うかな、と思わず振り返った

ずいぶん遠くなった自分の過去と、彼らの未来が、ふと重なる
どうか幸多からんことを、わたしが願うのもへんな話だけれど、と
しばらく背中を見送っていた

 

 

当時のカレッジの校舎はいま、大改装のさなか
寮も前まで行ってみたけれど、
懐かしくはあるものの、そういえばこんな感じだったっけ、と
印象がずいぶん薄まってしまっていた
だけど、寮の近くからメドウへと入っていくひっそりとした抜け道は
わたしの記憶にしっかりと根を張っていて、
長い時間が経っても、人間変わらない部分もあるものだと可笑しかった
そう、いつだってどこでだって、散歩が好きなのだ

あの頃が遠くなっても、地続きの自分を歩いている
もうイギリスで暮らしているわけでもなく、
毎年の滞在もひと月にも満たないけれど
それでも、オックスフォードでこの道が始まって以来、
わたしはわたしなりに、この国と、長い時間を過ごしてきた

いつまで続くかは、わからない
でも、いまはこの土地にたくさんの縁がある
大切にしたいものが、たくさんあるから

 

 

恥をしのんでサッと撮った、記念写真
この町にあやかってというか、読書帳にするつもり

長い今回の出張も、残すところあと一週間
悔いのないように走り回って、
持ち帰れるだけのものを持ち帰りたい

 

スカイ島へ行くために、
やってきたインヴァネス


日曜だったきのう
行き先を決めずに、歩きはじめた
スコットランドゲール語でネス川の河口という名前のこの町
美しい橋を渡り、その川に沿って、あてもなく

青空の面積が広がるにつれて、
澄んだ川の青も、濃さを増していく
背中を押されるように進み、
あらわれた緑の小島につづく、小さな橋を渡る

ときどき、犬を連れている人や、
サイクリングの人とすれ違い、ハイ、と片手を上げる
水音と鳥の声だけがあとに残る、
普段着の静かな散歩道


実は、インヴァネスに滞在するのは二度目
前回は、イギリス最北端の鉄道駅サーソーと、
最北東端の岬ジョン・オ・グローツを訪れるための中継地点だった
スコットランド・ハイランド唯一の大きな町だから、
多くの旅行者がここを足がかりにするのだ

だから、今回は、
一日はまるまる、インヴァネスに取っておくと決めていた
後悔というほどではないけれど、
ちょっとした忘れものを取りにきたような気持ちで

 

わたしは、いったい、
なんのために旅をするのだろう
答えはいらないと知りながら、
ときどき、そんなことを考える

スカイ島にしろ、去年のロフォーテン諸島にしろ
自分の生活とかけ離れた風景を吸い込みたい、
そういう欲は、もちろんある
だけど、ほんとうのことを言うと、
たとえばインヴァネスという、劇的な眺めのない町で
こうしてただ散歩をしたり、ふつうの本屋を覗いたり
閉店ぎりぎりの店でドーナツを片手に書きものをしたり
そういう時間のほうを、より強く求めている気もする


ふとした瞬間に、
自分が、日常から遠い場所にいることを感じる
けれど、それと同時に、わたしはどんなに願っても
わたし自身から離れられないことも知る

“僕は逃亡者だ
僕は生まれるとすぐに
僕のなかへ閉じ込められた
だが僕は逃げた”

“人がもしおなじ場所に
飽きるのであれば
常にかわることのない己れに
なぜ飽きないことがあろう”

ペソアの詩を反芻する
わたしは、わたしでいることに飽きているし
その単純な事実にうんざりもしているのだ


でも、その一方で旅のさなかは、
限られた自分という器のなかに、まだまだ泳ぐ余白というか
遊びのようなものがあることも感じられる
自分であることの絶望に、ふわりと降りてくる自由
世界は、まだ知らないこと、これから知ることにあふれていて
わたしはどこにでも行けるのかもしれないと、
ここまでと知った自分の境界を広げるような気持ちになれる
旅のときはこういう心持ちであるべき、と
刷り込んでいるというだけの話かもしれないけれど

 

 

小島と小島をつなぐ橋の真ん中にあったパネル
立ち止まって見つめながら、
ないものねだりをしている自分を思う

ここにいるわたしと、置いてきたわたし
なんだかんだ、どちらが欠けても落ち着かないんだろう

 

疲れていたうえ凄まじい混みようだったエディンバラでは
無理せずだらだらしたり、海辺の小さな町に出かけていったりした
スカイ島ではなかなかの嵐に見舞われ、
どこかに寄るたびに飲んだホットチョコレートの記憶が強い
そんな、どこか決まりきらない数日だったけれど、
不思議と満ち足りた、よい休暇だった

旅の時間は、いつも完璧ではなくて
でも、その隙間に、遠くへ来た実感が宿るのかもしれないね


きょうからは、ロンドンで
とにもかくにも、仕切り直し
明日も早朝から、電車に乗ってでかけていく

仕事でいっぱいの、二週間が
慣れ親しんだこの町で、わたしを待っている