月に一度の編み物教室を前に、
どうしても裾のリブを終わらせたくて
じっと作業していたら、3時

とじ針を使うItalian Bind Offは慣れても複雑で
集中しないと間違えそうだったので、音楽もかけられない
ただじっと手を動かしていると、スウェーデンの工芸学校にいた頃、
こうして、しょっちゅう朝方まで針を持っていた記憶が降りてくる

雪が音を吸って、痛いほどに静まった森
氷をまとう木の陰から上ってくる、明るいペルセウス
そういうイメージが、作業と固く結びついていてくれるのは
とても幸福なことだ

 

 

きのうは、ケンブリッジから
取引先のふたりが、京都に遊びに来てくれた
ホテルか街なかまで会いに行くつもりだったのだけど、
店に来たいと言ってくれたので、周辺を案内することに
ものや、お茶や、花とともにずっとお喋りをしていた、
ぜいたくな一日だった

ふたりが作るものを知って、初めて連絡をとったのは
2020年の春で、まさにロックダウンのさなか
それも、彼らは本格的に仕事を始めて半年というタイミングだった
だからこそ、顔は合わせられない中で本当に多くのことを話したし
そうして、自惚れかもしれないけれど、
仕事をすこし超えた関係を築いてきたように思う

わたしたちはメーカーと小売店なわけで、立場は違うのだけれど
意図して小さく仕事をして、そこに思いを込めている、という
とても大きな共通点がある
きのうもたくさんそんな話ができて、よかったな


自分だけで仕事をするっていうのは、雑事をするってことなんだよね、
休みどころか、やりたい仕事をする時間も全然ない、と
3人で顔を見合わせて嘆いたりしたけれど
この仕事をしていると、
時折、ご褒美のような瞬間が訪れてくれる

お客さんのしぐさだったり、言葉だったり
ものを作っている人やディーラーさんとの、
こういう笑顔の絶えない穏やかな時間だったり

だから、ほかのなにもかもを飲み込んで、
やりたいことをやっていますと言えるんだろうな
すくなくとも、わたしはそう

 

 

そちらをご覧になっている方は多くないかと思いますが
ずっと持っているホームページのデザインを、大幅に変えました
昨今のTwitterの変化で、Twilogが更新されなくなってしまったこと
(以前はTwilogを頼りにして、Twitter本体は繋いでいませんでした)
そして、もう10年近くも動かしていないブクログを、
フォローしてくださる方が多かったことがおもな理由です

ホームページ、とも、デザイン、とも言えないようなものだけれど
むしろわたしのことがあまりわからないようにしたくて、シンプルに
愛着のあったプロフィールは、
このブログの紹介文として残しました


わたしは高校生のときから、ほぼ途切れることなく
こうしてインターネットに日記を書いています
昔はブログという形ではなく、
日々、文章をHTMLファイルにして上げていました

だから、時代の遺物のようなホームページを一応続けているのは、
単にノスタルジーからかもしれないけれど
それでも、入れ物は取っておきたい
そして、きょうも、それはそれとして
ここに変わらぬ日記を書きたいと思います

あがったりさがったりしながら
飽きもせず、小さな毎日を