ストックホルムを訪れるたび、
かならず立ち寄る本屋がある

これまで、たくさんの時間をここで過ごして
たくさんの本をここで買ってきた
スウェーデン語がどんな段階にあっても、
あらゆる時や場所につながるようなこの本屋は
本を、言葉を、自分自身を楽しむ術をくれた
聖域のような場所のひとつだ

 

 

三年ぶりの店内に足を踏み入れると
耳慣れたピアノの曲
思わず息を呑み、ゆっくりと吐いたあと
姿勢を正してじっと聴いていた

いなくなってしまった遠い人と、
より透明に、力強く、存在しつづける音楽

本たちに音がこだまして、すうっと消える
あの三分間を、きっと忘れない

 

 

音楽のなかで買った本は、
詩人 ヘンリーカ・リンボンのエッセイ集だった

その中に、インゲボルク・バッハマンの
“もし希望を持つことをやめれば、
恐れていることはかならず現実になる”という言葉から始まる章があり
いまは、なんどもその上を行ったり来たりしながら
なにかを信じることなどについて、考えている


“わたしには本当に信じているものがあって、
それを「いつか来る日」と呼んでいる
その日は来る、
いや、もしかしたら来ないのかもしれない
わたしたちは何度も、何千年も、いつも打ち砕かれてきた
それでも、現実にならないとしても、信じている
信じていないと、書くことはできないから”

これは、1974年
バッハマンが亡くなる少し前のインタビューでの言葉、とある
作品のなかで、掬うようにして、多くの喪失を描いた詩人の、
絶望の、そして希望の言葉だ

ときに難解な文章のなかに、脈打つように誇りが感じられる
語るのも畏れ多い、けれど人間らしい、敬愛すべき先達
わたしにとって、そしてこの本の著者のリンボンにとっても
バッハマンはそういう存在なんだろう

 

このエッセイ集、ここだけを取り上げてしまったけれど
冒頭からずっと、思索に満ちている
こういう出会いがあるから、あの本屋へ、ストックホルムへ行くのだと
あらためて、思う

本を読むことは、森を歩くことに似ている
著者に連れられて、分け入っていく感覚

もっと遠くへ行こう
一歩、一歩、光のほうへ