ちょうど、お客さんの予約が入っていない時間
みるみる空が暗くなり、不穏に雷が鳴りだして
強い風とともに、雨が吹きつけてきた

五分もすると、大通りは川のようになり、
落ちたばかりの葉が流れていく
走る車の足もとには、白い大きな波が立って
見慣れている道の印象がかき消される

呆然と眺める窓のそと
子どもだった頃には考えられなかった世界が、
ここには、ある

 

こうしてすこし時間が空き、デスクワークができそうなときには
鞄からラムネを出して口に放り込む
集中したいときや、ちょっと落ち着きたいときの、強い味方
これがあれば大丈夫という、思い込みもあるのだろうけれど

ラムネにこういう役割を持たせるようになったのは、
実は、ロンドンにいた頃のことだ
大英博物館の目の前にある小さな食品や雑貨の店に、森永のラムネがあって
お守りのように鞄の中に入れておくようになった

最初にそこでラムネを見つけたのは、一年生の秋で
博物館へ行く前に、学科の友人達とその辺りでアイスなどを買って、
みんなでワイワイ食べていたときだった
何それ日本のもの!?ひとつ食べてみたい!と言った友達が、
ものすごく難しい顔をしてコメントに困っていたことが忘れられない
彼のあんな顔、あれが最初で最後だったのよ

ブドウ糖が集中するのによい、という話以上に
そういう楽しい記憶や、課題をやっているときに食べていたという刷り込みが
わたしの安心をつくっているんだろう


ラムネ自体の話からちょっと離れるけれど
通っていた大学から歩いてすぐの大英博物館には、
ひとりでも、友人たちとも、さまざまな思い出がある
たとえば、ヴァイキングのコーナーでスケッチをしたことや、
企画展で見たピカソエッチングがすばらしかったこと
グレートコートにあるカフェでの、尽きないおしゃべりは、
いまもわたしを生かしてくれているような気がしている

なかでも、Enlightenment(啓蒙時代)の部屋は
大学の頃も、卒業して仕事でロンドンを訪れるようになってからも、
わたしにとってとても大切な場所だ
広い部屋を歩き回りながら、静かに、膨大な数の本の背表紙を読む
どれだけ多くの考える時間を、あの場所からもらっただろう

“The Enlightenment is the name
given to the age of reason, discovery and learning”
部屋の、その説明が、こうしてそらで書くくらいに好きだった
今も、あのパネルは変わらず置かれているのだろうか

 

ふとそんなことを書きたくなったのは
わたしを現実から隔離するような雨のせいか、それとも、
月末には久しぶりにロンドンへ行く予定だからか

始まるかどうかわからない旅に
心だけは、もう向かっているのかもしれない