屋根に叩きつける雨に不安になって
上げていないブラインドの隙間から、外を覗く
暗く不穏な空の下、ベランダが朝靄の湖のようにぼんやり光る

昔、朝方に友人に叩き起こされ、
霧がかかる狭山湖に連れて行かれたことを、ふと思いだす
あの頃は、ドライブに行こうとか、終電を逃したとか、
そんなことで、何時だろうと電話がかかってきていた


大きな音でスマホが鳴り、我に返った
警戒レベル4、避難指示、という文字の横に、
あまりこういう警報が出ないはずの学区の名前が並んでいたので驚き
思わずちゃんとブラインドを上げて、そちらの方角の空に目を凝らす

これはきょうの仕事は、できるところまで自宅でやったほうがいいな、と
ごちゃごちゃになっていた机の上を片づけ、お茶を淹れ直した

もやもやとした不安をかき消そうとしながら、
あの遠い朝の湖のことを、きゅうに鮮やかに思いだしたのは
もしかしたら、その友人と最近ひさしぶりに会えたからかしら、と、
眠っている自分の記憶のことを、思った

 

 

 

本棚の後ろの段を順番に見ながら、ハンナ・アーレントの名前を探す
“許しは、不可逆的な歴史の流れを逆転させるただ一つの方法だ”
アリ・スミス『夏』に出てくるこの引用を、
本当に存在するのか、今更ながらに確かめようとしたのだった

“許し”についてだと、『人間の条件』から引かれている可能性が高そうなので
まずは見てみようとしたのだけれど、そもそも文庫本が見つからない
絶対どこかにあるはずなのに、と思うほどに心許なくなり、
ずっとそこにあったものが、ふっと消えてしまったように感じる


『夏』の引用のくだりは、名言集からこの言葉を引いた娘と、それを許さない母の
必要だから出典を調べて書け、宿題には必要ない、から発展する応酬
それを読んで、自分の本棚の前で右往左往しているわたしはなんなんだろう、と
可笑しさが込み上げたけれど、とりあえず探す手は止めなかった

結局、いちばん大きな本棚では見つからなかったし、
いくつかのワイン箱に入れて積んである中になかったら、買い直そうかな
ハンナ・アーレントの気持ちを勝手に代弁しちゃ駄目”
それはねえ、そうよ、わたしもそう思う

 

アリ・スミス、そして『夏』を含む四部作の人びとが暮らすイギリスは
ちょうどきょう、おそろしく暑いらしい

ヒースローで、史上初めての40度
いつもお世話になっているご高齢のディーラーさんが、
発送は何日か待って、外に出たら本当に生きて帰れなさそうだから、と言うので
慌てて、もちろんいつでもいい、発送なんて小さなことよ、と答える

よく知っている人、よく知っている場所
遠くの出来事とは、思えない

じゃあわたしは、どこまでを、
自分自身の延長のように感じているのだろう


アリ・スミスが散りばめた沢山の問いの海に、浮かぶ
手のなかには、インターネットの井戸のなかであれば、
ほとんどどこにでも繋がるスマホがある

知る言葉の範囲を、泳いでいける境界のひとつとできるなら
ほんのすこしは希望もある、とも思うけれど、
それは、あまりにも楽天的かしら