ヴィスワヴァ・シンボルスカの晩年の詩集
このところで、出会えてよかったと、
もっとも強く思ったもののひとつだ

 

ここはいま九時三十分。
なにもかもが本来の場所に収まり礼儀正しく和している。
谷には小川が小川として流れる。
小道の姿の小道が永遠から永遠へ続く。

森に見える森が永遠に繁る。
その上では空飛ぶ鳥たちが空飛ぶ鳥たちを演じる。

見渡す限りここを支配しているのはこの瞬間。
それはいつまでも続くように招かれた
地上の瞬間のひとつ。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ沼野充義訳)「瞬間」 より

 

苦しさを一瞬、置いて
澄んだ眼差しでそのときを永遠に変える
シンボルスカの言葉は、まるで水晶のようで
静かな優しさの割れ目に、諦めにも似た痛みが見える

ああ、こんな風にいられたら、と
願うのは百年早いだろうか


“どこまでも膨張するような、一瞬”
2014年、ストックホルム
わたし自身も、この日記にそう書いたことがある

水辺に広がる夕方の陽光、
遠くに霞むGamla Stanの教会の塔
永遠にも思えたあの瞬間のことを、
何年経っても、ありありと思い出す

重い身体を、まとわりつく憂いを引き連れて、
なんのために歩くのか

いつものカフェでコーヒーを飲み、
シンボルスカの詩集をまた開きながら、そんなことを思っているうち
雲は晴れ、光を溶かしたような青空が広がっていた

 

先週の土曜、唐突に腰を痛めた
ぎっくり腰、という以外に形容しようのない状態で
それはもう困っているのだけれど、
こういうことが起こるのだなあ、と感心もしてしまう

初日と二日目は、いちど横になったりすると、
あまりの痛みに、立ち上がるだけで30分はかかっていた
今はいくらかよくなったのだけれど、
やっぱり、その後一歩も(比喩ではなく一歩も!)動けなくなるので
ソファなどやわらかいところには座ることができない

ままならないことばかり、とは思うものの
そこは心が折れたら終わりの個人事業主
調整あるのみ精神で、強く


夕食後、仕入れの仕事をしていたら
通販で注文をしてくれたお客さんから、メールが届いた
気持ちのこもったメールは、いただくたびに、
ちょっと言い表せないくらいに感激するし、励まされる

コロナで、不要不急、という単語が出てきた頃も
そして、輸入品の扱いが以前とは段違いに難しくなった今も
この仕事の意味、扱う商品の意味を考えては悩むわたしを支えてくれるのは
すくなくとも自分にとっては必要ですよと伝えてくれようとする、
そして大切な時間をかけてまで実際に伝えてくれる、お客さんなのだった


ままならない日々を、美しいものとともに
わたしにできることは、まだ沢山あるのだから