f:id:lumi31:20210904012249j:plain

 

古本も販売しているいつものカフェの棚に、
表紙が見えるよう立てて置いてあった、一冊

The Painter and the Wild Swans
山と白鳥が溶け合った、不思議な陰のある表紙には
なぜか、日本語の文字がある

誤字も含めてアンバランスな雰囲気と
立体的で繊細な絵に、強烈に惹かれ
思わず手に取った


読みはじめてすぐに
これは画集ではなく絵本だと気がついて、驚いた
主人公は、画家の“Teiji”

売れっ子の画家で、不自由なく暮らしていたテイジは
白鳥の群れを見たことで、こんなに美しいものがこの世にあるのか、
あれを描けないのなら絵描きである意味などあるだろうか、と
思い詰め、なにもかもを捨てて、旅に出る

旅の果て、
テイジは、描けなくてもいいのだ、
これほど美しいものを生きているうちに見られることが幸せなのだ、と悟る
そしてそのまま、白鳥の羽に包まれて天に昇っていく
そういう、わたしには哀しい話

 

f:id:lumi31:20210904012346j:plain

 

すばらしい絵と文にも、胸を打たれたけれど
なにより目を奪われたのは、その傍らに一節ずつ現れる、
毛筆で書かれた日本語の詩だった
やはり切実で哀しく、けれどどこか幻想的で
テイジ自身の滔々とした呟きのようにも感じる

“凍てついた羽根の上を すべる雪を
彼らに向って踏み出した 歩みの一足一足を
彼らの不在を そして静けさを
私は思い出す”

“外套を脱ぐように 捨てて来た生を
私は思い出す”


作者は、絵がフレデリック・クレマン
文がクロード・クレマン
(たまたま同じ苗字なのだと、見返しの紹介文に注がついていた)
この版は、1986年にニューヨークの出版社が出しているけれど
もともとはフランスで、その前年に出版されたもの
フランスでは、賞も取ったようだった

献辞には、私の知らないTeiji Sagaへ、とある
調べてみると、嵯峨悌二さんは実在していた写真家で、
この絵のモデルになった白鳥の写真を撮った方らしい
30年、喫茶店を経営しながら撮り続け、
海外で何度も展示をしたり、写真集を出したりしていたそうだ

詩は、最後のページに英訳と日本語がまとめて載っていて
Teiji’s Poem、と但書があった
このTeijiは、絵本のなかのテイジなのか、現実の嵯峨さんなのか
そもそも、嵯峨さんは、この絵本のことを知っていたのだろうか

これだけの物語と多くの謎にふさわしい、
美しい本だ

 

実は、この本には
もうひとつ、物語がある
見開きに添えられていた、手書きのメッセージ

“アヤへ、
この美しい本を教えてくれてありがとう
あなたにも、新しい一冊を持っていてほしいから
この家での思い出に贈ります
あなたのマーシュフィールドのホストマザー、
サンディ”

メッセージの日付は、1987年6月3日
きっと、アヤさんは、街の本屋でこの本を見つけて買い、
ホストマザーに贈ったんだろう
それを気に入ったホストマザーは同じものをもう一冊買って、
彼女が家を離れるときに贈り返した、ということだと思う

ふたりはどんな人だったのか
マーシュフィールドは、どんな街なのか
遠い日の、小さなドラマ


ただ、アヤさんは、当時20歳だったとすると54歳
もうすこし年齢が上だったとしても、まだ60代くらいの可能性が高いので
これほど思いが詰まっていそうな本をなぜ手放したのかが、気になる

どうか、彼女が幸せでありますように、と
ただこれを手に取っただけのわたしだけれど、祈っている

 

本は、ちいさな宇宙のようなものだ
中身が同じでも、二冊同じものはなく
手に取った人自身の物語が宿って、無限に広がっていく

そう、あらためて思える本に出会えた、
幸運な日だった