ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

萩原朔太郎 『旅上』

 

この詩を、こんなに反芻する五月は
これから、もう、ないだろう

目の前のことを片づける努力はしたものの、
心の一部が、どこかへ逃げてしまったようで
ほんとうには力が入らなかった
思い返せば、くるしい五月だった


再開した植物園に咲き乱れるバラに、
リージェンツ・パークの風景を重ねていた
ヨーロッパはあまりに遠く
たった一年前に見たものが、もう現実ではないようで
それを受け入れるしかないということが怖かった

昼に起こることこそ、全部夢だという気がして
毎夜、日付が変わってから、
仕事をし、本を読み、ドイツ語を勉強し、
ヘッドホンをしてひたすらに電子ピアノを弾いた
たとえ眠れなくても、暗闇のなかのそういう時間が
わたしの精神を支えてくれたように思う

まあ、まだなにも終わっていないんだけれど、
とりあえず、五月が終わる、
そのことにほっとしている

 

現地に行って仕事ができない、ということは
わたしには、自分の存在意義を吹っ飛ばす損失だ
半年先、一年先に思考が及ぶと
どうにもならなさすぎて、拒否してしまう

それでも
考えなくてはいけないと、わかっている
いつも、そうであったように、
今回だって、なんとかかんとか歩いていくしかない


わたしの五月は
この詩のようにはいかなかった
もちろん、そもそも外には出られなかったし、
気持ちも、そう

だけど、かき集めた些細な美しさを支えに
静かに、自分なりの正解を探そうとはした、
この時間はむだではなかったと信じたい
価値を求めるなんて、かえって息苦しいことだとわかっていても
自分のために、せめて、小さな納得がほしい
長く続く苦しいときは、まだこれからなのだから

Stay safe, stay strong
取引先のお姉さんと言い合った言葉を胸に、
新しい月へ行くんだ