“人は時があまりに早く過ぎ去ることを嘆くが
それは違う

時は十分すぎる時間をかけて
移ろうことを知るべきである

我々は天から授かった力によって
遠い記憶を眼の前に感じることが出来るのだから”


日曜美術館』、ルーブル特集の最後に出てきた
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉

録画で全部を見終わったあと、戻して
母とふたり、書き写した

救いになるね、これを胸に生きよう、と
言い合ったことを、きっと忘れない

 

“Nothing in life is to be feared,
it is only to be understood.
Now is the time to understand more,
so that we may fear less.”


マリ・キュリーのこの言葉に出会ったのは
2010年夏、ロンドンで暮らしはじめた日だった
大学と寮の近くにある、大英図書館の外壁に、
ポスターとして貼ってあったのだ

なにもできなかったわたしの
不安だらけの船出の日
ポスターを見上げながら、わたしは、
この言葉を胸に生きていこうと決めた


2度目の大学生活を、なんとかかんとか終えて
日本に帰ることを決め、自分で仕事をするようになり
あの頃よりすこしは理解できることが増えたけれど、
今のわたしは、以前よりたくさんのことを恐れている

そのうちのひとつが、時間
ダ・ヴィンチの言葉は、そんなわたしに理性をくれるものだった

 

言葉を信じている
信仰、と言ってもいいほどに
わたしは信じる言葉を心の真ん中に据えて、
なんとか立っていよう、進んでいこうとする

マリ・キュリーの言葉に
こんな風に理性的で、果敢な人でありたいと思った日から
ずっと、その強い気持ちに守られてきた
なんだか、ひとごとみたいな言いかただけれど、
実際、言葉への思いは、
今こうして考える“わたし”の範疇を超えている


時は、十分すぎる時間をかけて、移ろう

これから、時間をかけて
その意味を知っていけたらいい

この言葉が、わたしの前に現れてくれてよかったと
振り返る日が、きっとくる