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古い版のドリトル先生
ノーフォークを旅したとき、ノリッジという町の
路地裏にある古本屋で、買ったもの


棚の低い場所にあったこの本を
しゃがんで、丁寧に見ていたとき、
イギリスの初夏らしい通り雨がやってきた

石畳を弾く水の音
開け放していたドアから、ざあっと風が入って
わたしの髪と背中にからんだ
路地のむこうの、背の高い木々から来た風は
濃い、緑の濡れた匂いがした


思い入れの強い本には
まるで一冊一冊、ポケットでもついているように
たくさんのそういう記憶が仕舞ってある
買ったときの、あるいは読んだときの、
風景や、音や匂いや、味や、そばにいた誰かの記憶

いい本、特別に思った本は、印象が強いから
物語と一緒に、まわりの記憶まで、
くっきりと残るものだ

 

“わたしに万が一のことがあったら
タダでもいいから、ジュエリーを全部引き取ってほしいの”
“大切にしてきたことがわかってもらえなくて
ただのリサイクル品として扱われるのは絶対にイヤ、
あなたがいてくれると安心だから、ずっと店を続けてほしい”

よくいらしているお客さんの、言葉
何度でも浮かんできて、
わたしの背中をたたいてくれる

そして、その言葉を自分に置きかえて思うとき
わたしの頭に浮かぶのは、本のこと
もちろん、わたしもジュエリーを愛しているけれど
それでも、そのお客さんにとってのジュエリーは
やっぱり、わたしにとっては、本なのだ


古い民話集、民族衣装や工芸やフォークアートの資料
美術や建築、モダンデザインの作品集
そして、たくさんの、本当にたくさんの、小説
愛する作家のサインが入った本や、愛する作品の初版や古い版もあるけれど
そうでなくても、わたしには、ほかには替えられないものだ

ロンドン、ルンド、ストックホルム、京都
いろいろな町の、いろいろな本屋で
わたしなりの基準で、わたしなりのやり方で
ずっと本を買ってきた


わたしは、自分の本棚を愛しているし
自信、というとちょっと気持ちとずれている気もするけれど
まあ、うん、深い自信があるのだと思う

おそらく、客観的に見ても
わたしの持ちもののなかでは、本が、
もっとも貴重なコレクションだけれど

それよりなにより
もっとも個人的なもので、もっとも情熱を傾けるものというのは
わたしにとっては、いつだって本だから

 

いつか、特別な本それぞれについて
短い文章を書きたいと思っている
本に収められた物語と、
個体としての本そのもの、それにまつわる記憶の
強く静かにきらめく、美しさ

たとえわたし以外の誰も、興味がなくても
わたしひとりのために残す、覚書のような
そういうものが書ければいい、と、思う