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頭をいっぱいにしながら
ふと、自分のデスクを見やる

なんでもない風景に
ときどき、ぐっとくるのは
これが、たった2年前にはなかったものだから

 

ちょうど3年前
イギリスの大学を卒業し、スウェーデンの工芸学校を修了したとき
向こうでの就職を、わたしは、選ばなかった
それは、単純に
日本で生きていくことを選んだからだ

年齢や経験でバッサリと切られる社会を
呪う気持ちは、ずっとある
それでも、たとえばヨーロッパで3年働いて帰国、と考えると
その3年を、わたしは日本での地盤作りに使いたい、と思った

どこかに勤めるにしても
自分でなにかをはじめるにしても
恥ずかしくないレベルになるためには、膨大な時間がかかる
それに、こういうことをします、と言ったところで
中途半端では、誰も振り向いてくれないし
結構、小手先のことは、小手先だとわかってしまうものだ

だから、あのタイミングでの帰国を選んだ
自分にも、自分が発したなにかを受け取る人にも、
できるだけ誠実でいるため
恋人や友人、家族が日本にいるというのも大きかったし、
こう言うと、格好をつけているようだけれど
でも、本当にそうだった


帰国して3年
この国のシステムには納得がいかないままだけれど
それでも、仕事を通じてたくさんの素敵な人に出会って、
当初の何倍もの知識を得て
自分にできることが確実に増えていることを感じる今
あの時の自分の選択に、
ちゃんと自信を持てるようにはなった

毎夜、仕事や勉強や調べもので、
勉強だけだったときよりも、自分の時間は少ない
これだけ色々なことをせいいっぱいやったって、
たかが店じゃないかと思われることもあるでしょう

けれど、わたしの手にある、店を持ったことで得たものは
今はもう、店の範疇を超えている
自分が作りたかった“地盤”に、
すこしずつでも近づいているという、実感がある


ほんのすこし前までは
片手間で店をやっていると思われたり
誰にでもできるような仕入れをしていると思われて
それを毎営業日のように質問という形でぶつけられることが、つらかった
わたしが持っている、店と直接関係のない情報を、
しかも上澄みだけを強く求められることも多く
くたびれ果てて、怒る気もなくなっていた

けれど、最近は
きちんと、かいつまんで説明して、
この店はわたしの持てるものを惜しみなく使って回しています、と
淀みなく言えるようになったと思う

わたし自身や店の仕事を甘く見られたときには、
店のため、置いているものと、その先にいる人たちのために
胸を張って、数はなるべく少なく、でもちゃんと言葉にしよう
そう、心を強く持てるように、ようやくなったかな
それが、直近の進歩

 

丸3年、というのを
ひとつの、自分自身を振り返るときだと思っていた

だけど、正直
あまりにも沢山のことをこの3年でやったから、
なにを基準に自分を評価したらいいのかわからないな
よくがんばったとは思うし、今でも十分満足しているけれど
もちろん、まだまだ発展途上なわけだしね


きょうから、帰国して4年目
お客さんを大切に、きちんとお店を経営しながら、
ここをベースに、わたしにしかできないことを考えて
慎重に手を伸ばしたい

もともと発想力などに乏しい、わたしには
夢のような話にも思えるけれど

“イマジネーションとは、記憶のこと”という村上春樹の言葉と
自分が得てきた記憶、その中身を、
いまは、ちゃんと信じている