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給湯室の流しで
花瓶から、花の束を取りだす

乾いた花びらがざあっと落ちて、ばらばらと散らばり
えっ、と、思わず口にした
心臓をつかまれるようなかなしさがやってきて
すぐに、今度は、美しさに見とれる

日常は
無数の、ドラマティックな一瞬からできている

 

仕事のものが4つ
プライベートのものが3つ
まったく別の時期に頼んだものがたまたま重なって、
合計7つの海外からの荷物を待っている、今

これはリスボン、あれはバルセロナを出たところ、
こっちはロンドン、あっちはライプツィヒでトランジット中
追跡をすると、そんな情報が出てきて、
白昼夢を見ているような気持ちに


ちょっと唐突だけれど
ゲーテとカーライルの書簡集の
なにげないお礼のやりとりを、わたしは愛している
どんなものが、どんな風に届けられたのか
そういうことの記録になっているからだ

彼らの時代には、手紙や贈りものは、
もちろん、すばやく届くものではなく
ゆっくりと旅をしてくるものだったということが
言葉で、実感をもって、伝わる


当たり前だけれど、今でも
ものは、たくさんの人の手を伝いながら
人間のように、遠い遠い空の道を、飛行機に乗ってやってくる
いつだって人間と同じ速度で、移動している

それだけのことが、なんだか、
最近は愛おしく思えたり

 

まあ、でもそもそも
わたしの店にあるもののうち、たくさんのものが、
わたしと一緒に移動してきたのですよね

もちろん、ヴィンテージのものだって
数が半端ではないので、現地で買い付けても一部は送るし
日本にいながら、ディーラーさんとやりとりをして、
送ってもらうこともある

それでも、わたしは
毎度、大きな荷物2つ、小さな荷物2つを抱えて
よろよろとヨーロッパから戻ってくる
勿論、送料がかかると商品の価格を上げなくてはならず、
どうしてもそうしたくないというのもあるけれど
やっぱり、それだけのことでもないんだよ

結局、いつも
わたしはそういうことを大事にしたくって
そういう風にしかできないのかもしれないな