仕事場を、離れて
妹と待ち合わせ

しばらく、お茶を飲んで、話をして
また、仕事に戻る



長いリストを作り、チェックを入れる毎日のなかで
自分はどんなことがしたいのか、考えてきた

わたしは、こういうことがやりたい、よりも
こういうことはやりたくない、のほうが
実は、ずっと、強い
留学前に、この業界にいた頃のほろ苦い記憶や
とけていかない違和感を
なにより、大事にしたいと思っていたし
店を開いて一応それらしくしている今も、そう思っている


そんななかで、出会ったのが
三品輝起著『すべての雑貨』
わたしが長年感じている引っかかりを
踏みしめるように、言葉にしてくれている本だと思った

著者の三品氏は、雑貨屋の店主だけれど
近年の“雑貨”の概念、その感覚には、批判的だ

“物と物とのあいだに、一秒まえと一秒後のあいだに、
ちがいさえあれば価値がうまれ、雑貨はどこまでも増えていく。
ほんとうは、それは進化でも退化でもないはずなのに、
私たちは、ちがいをたえまなく消費することで、
どこかへ前進しているような夢をみている。(30頁)”

けっこう、辛辣とも言える内容だと思うけれど
こうハッキリ言ってもらえると、スッとする


ちがいを消費するということは、
なんにしてもそう簡単には避けられない、呪いのようなものだ
だからこそ、その力に相対して、どんな佇まいでいたいのか
どのちがいを、価値としたいのか
いつも一歩引いて、考えなくてはいけない、と思う
結局、波にのまれるだけだとしても

わたしが留学中にやってきたことと
雑貨感覚というのは、なかなか両立しなくて
ずっと、巨大な葛藤がある
それでも、わたしの生んだちがいから
そのふたつに、細くでも橋をかけることはできないかと
これまでも、これからも
きっとわたしは模索するんだろうな

その一方で、何かをすてきだな、と思ってもらえればそれでよくて
ものに、物語を過剰に付加したり、
わたし自身の思いをのせるようなことはあまりしたくないので
そこでまた、葛藤
やれやれ、いつになったら着地点がみつかるのやら



だらだらと書いて
たいしたことを言っていない気もしますが

三品氏のこの本、
実はわたしは、雑貨が関係あるようなないような、
ごく普通のエッセイ部分がとても好きだ

考え込んでしまうところも、多いけれど
軽やかさも持ち合わせている
手もとに置いておきたい、一冊になった



すべての雑貨

すべての雑貨