ゾラは自分の未来にかんして、彼女の未来が必ずしも最優先事項ではない重要人物とのミーティングの予定を立てるのが大好きだった。人に知らせれば知らせるほど、計画が彼女にとってより現実味を帯びてくるからだ。
「外国みたいなもんだな、未来は」カールは悲しげに言ったあと、パンチラインが浮かんだらしく、顔をほころばせた。「俺にはいまだにパスポートがない」
「それって…自分で書いたリリックのフレーズ?」「かもな、そうかもな」彼は肩をすくめて両手をこすり合わせた。まだそれほど寒くはないのだが。そしてかなり偽善的な調子でこう言った。「話せてよかったよ、ゾラ。勉強になった」
彼はまた怒っているように見えた。ゾラはそっぽを向いて、トートバッグのジッパーを手でいじった。この人の力になりたいという、なじみのない衝動に駆られていた。「まさか…わたしなんてなにもしゃべってないようなもんでしょ」
「ああ、でもあんたは聴くのがうまいから。おなじことだろ」
ゾラはびっくりしてまた彼を見上げた。かつて聴くのがうまいと言われたことなど記憶になかった。
「あなたってすごく才能があるよね?」ゾラは小声で、いったい自分がなにを言いたいのか考えずに言った。運の助けか、その言葉は通りかかった配達のトラックにかき消された。(ゼイディー・スミス『美について』 159-160頁)

『美について』の帯に
“21世紀版『ハワーズ・エンド』誕生”とあった

これに賛成するかは、読み終わる頃にまた考えるけれど
下敷きになっている『ハワーズ・エンド』に、
いまのところ、引けをとっていないのは、確か


これは、雰囲気で読む本ではない、と、思う
次々に分かれて伸びていく細い枝、そこにぱらぱらと咲く花を
ひとつひとつ見分するような、繊細な小説

ここに咲いているから、魅力的
とくにそう思うのは、中心にあるのが会話だからだ
最初に読む今、それをひとつも見逃したくなくて
押し流されないように、すこしずつ進んでいる



わたしの世界は、狭い
それは、2016年に、痛いほど感じたことだった
たとえば、イギリスの国民投票で、アメリカの大統領選挙で

わたしは大学の外の世界を、あまり知らない
専攻が特殊だったのもあって、黒人の友だちも、ほとんどいない
イギリスにはそれなりに住んだけれど、アメリカはよく知らない
ヒップホップはわからないし、詩は嗜む程度、
加えて女性であって、男性になったことは一度もない

わたしは、たとえるなら一軒家のような世界に住んでいて
そこから出ることがあったとしても、散歩へ行くくらいのこと
いくつもの言語を使っても、その事実は変わらないのではないか、と
自分の欺瞞、傲慢を、思う


それはきっと、わたしだけじゃなく
誰でも、自分のそとにあるものは、なかなか肌では感じられない
異質なものにちょっと触れてできたやけどを、撫でる、日常

けれど、だからこそ、人は窓を開けて想像するし
ときには家から出て行って、生身の人間とぶつかったりもする
毛細血管レベルからの対立に、ひりひりとした痛みを覚えながら
言葉で、あるいは身体で、他人に触れようとする姿は
少なくともときどきは、ちゃんと、うつくしい

そして、そのことに、わたしは
いつも救われている、という気がするのだ


と、あれこれ書いたけれど
つまり、この小説は、そういうものを見せてくれるということ
それから、今のわたしは、こういうことについて、
思いを新たにしたかったのかもしれない、ということ

まだ半分を過ぎたくらいで、結末も知らないのに
これだけ色々書くのは、どうかとも思うんだけれど
気持ちをもっていかれている真っ只中に書いておくのも
たまには、いいかな

2017年、最初の本は
忘れられない一冊になるかもしれない



美について

美について